Sunday, 1 August 2021

To Winter. RI Ko.2015. Sekinan Library

 

To Winter. RI Ko.2015. Sekinan Library

冬へ
To Winter

里行
RI Ko


背の高い建物群が青緑色に見える。都市線の高架の下を南北に広い道路が走り、そこをゆっくりと路面電車が進んで行く。駅を降り
て歩道をすこし南に行くと、Aの住まいに着く。一階はブリキ屋で外付けの階段を上った二階に住んでいる。物置のように使われてい
たところを住まいにかえただけの殺風景な部屋だが、窓が道路に面した東と、駅の方の北に取ってあって明るい。
彼が初めてこの駅で降りたとき、曇り空の下にくすんだ高い建物が背景となった風景になんとなく惹かれて、歩き始めてすぐに目に
ついた貸家の張り紙のままに、「トタン・ブリキ製造」と看板があるガラス戸を開けて、その場で部屋を借りることにした。
駅からここまで来る途中の路面電車の中継基地とでも言うのか、そこから道路に向かって電車が出て行く光景が今も初めて見たとき
のように好きだ。線路は赤く錆びていて、車輪の当たるところだけが、銀色に光っている。電車はいつも道路に向かってカーブしてい
くときにギシギシときしんだ音を立てた。
彼はここから都市線に乗って仕事に行く。仕事は倉庫での仕分けで、見た目ほどの力仕事でなく、作業は明確だ。乾物系の食料品と
日常の家庭雑貨を、注文先の伝票に合わせて仕分けして台車に載せていく。納入先は町のスーパーなどが主だ。倉庫の中は夏でも涼し
いが、秋も深まるとコンクリートの床が底冷えするようになる。その代わりに昼休みの日光浴がなんとも快い。ときどきそのためにこ
の仕事で働いているのかとおもうくらいだ。年上の同僚のSとは気が合っていて、なんでも気楽に話せる。
―いまどきブリキ屋とはめずらしいね。
住まいの話になったとき、Sがなんだかなつかしそうに言った。
―いや私が勝手にそう言っているだけで、最近は銅板をたたいていることが多いです。
―というと、お寺の屋根かなんかかな。
―それはわかりません。いつもおそくまで仕事をしてます。でもきっとそうかもしれません。
主人と二人の若者が黙々と仕事をしている。ときどき裏のトラックに出来上がったものを積んでいる。
―それでその町が好きなのか。
―いい町ですよ。ずっと住んでいてもいいくらいです。
―おれはもうずっといなかに住んでいるから、都会はだめだ。
―都会といえるほどじゃないですけど。
―でも高い建物があるんだろ。
―駅のむこうですが。高架線のむこうは高い建物なのに、こっちはむかしのままの家が多くて。そこを路面電車がきしみながら進んで
行くんです。
―そこをずうっと行くと古本屋街に着くんだったな。
―そう、それもよくて。
午後の休憩のときの会話。あと一息で一日が終わる。
―こないだ、彼岸のものを入れたとおもったらもう十三夜か。
納入品で季節の推移がわかる。
―Aさん、片見月はいけないというのは知ってるかい?
―一応。十五夜をやったら、十三夜もやらないといけないということでしたっけ?
―そう、若いのによく知ってるね。
もうそんな年でもないと、Aはおもう。
Sは五十代後半、いろいろなことをよく知っているし、人生をたのしみながら生きている。春は花見、秋は紅葉を奥さんと見に行く 。
それをまたたのしそうに話してくれる。釣りも好きで、よくわからないAに、こまかく話してくれる。
―しかし釣りも仕事をしてないと、おもしろくないな。
―そうですか。
―まえに、自分の仕事を廃業したとき、毎日釣りをしたが、あまりおもしろくなかった。
Sはむかし電気店をしていたが、それをやめてから、いくつかの仕事を経て、いまの仕事となった。そのへんのこともよく話してく
れる。船のロープを作っている会社で働いていたことや、トラックの集積場で働いていたことなど。どの話もいつも淡々と話してくれ
る。
―船のロープってどういうのですか?
初めてその話を聞いたとき、まっさきにたずねたことだった。
―そりゃあ、いろいろさ。それを注文にあわせて切っていく。これがなかなかたいへんでね。たとえば荷揚げ用のロープとか 、頑丈で
ね。
ふたりはこうして倉庫に行き着いたのか、とAはおもった。

―いまの仕事はどう?
秋の光を受けて、Iがたずねる。
―ずっとかどうかわからないけど、たぶん当分のあいだは続けるとおもうよ。
都市の雑踏もここまではとどかない。Iと会うのはいつのまにかこの場所が多くなった。
歩道から数段の階段を上がると色あせたガラス戸に明るい室内が見え、ペンキの凹凸がそのままに残る深緑の木枠の窓の向こうに、
おだやかな秋の光が落ちている。
奥の壁にはがきほどの小さな一枚の画の複製が掛かっている。クレヨンを細かく動かして描かれたアーノルフ・ライナーの「山嶺」 。
山の霊気が伝わってくる。
Aはむかしときどきここでお茶を飲んだ。入口を入った先の窓際のテーブルが空いていれば、そこにすわった。G市に住むように
なって、またここをおとずれるようになった。
Iとは同年で、むかし同じ研究室で学んでいた。ことばの端々にこころやすさが残っていて、会っていると 二人の日々の疲れがやわ
らぐようだった。
i
―そっちはどうなの?
前にもしたような質問を繰り返す。
―私はいまの仕事を続けるとおもう。私に合っているし、勉強したいこともまだあるから。
彼女は会計の細かな分野を勉強している。
―それよりこのあいだ帰りに話してくれた版画の話を、もう一度してもらえない?
二週間前にやはりここで話したあと、S駅までの道すがら、Aが少し話しかけたことだ。
―版画が動いて見えたんだっけ?
―そう、あのときはかなりおどろいた。前にも言ったけど、その版画はむかし、一緒に働いていたKが送ってきてくれたもので、ずっ
と封筒の中に入れたままにしてあった。花火の版画で、こまかな技術はぼくにはよくわからないけど、たぶん切り絵のようにして版を
作って、そこに油っぽい絵の具をつけて、幾回か刷り重ねて作ったのかな、その幾重にも重ねられた紺一色のグラデーションで花火 の
打ち上げが描かれていて、それを今のところに越してきてから、台所の横の壁の上のほうに、額に入れてピンで留めておいた。日曜日
の夕方近くだった。ソファに腰掛けてなにげなくその版画の方を見上げると、すわっているから見上げる感じになるんだけど、そうす
ると電気をまだつけてなかったからすこしうす暗いその台所の壁面の版画の中で、花火がつぎつぎに打ち上げられていく。花火がゆっ
くりと暗い空に上っていってしずかに大きく開く。続いてその下方で淡く白い花火が開き、そのさらに下方で菊のような花火が開く。
さらに後方を別の花火が上っていき、上空で細かく飛び散るように開花する。打ち上げは見ている間中いつまでも続き、絶えることは
ない。幻想的というのか、呆然とした、そのときは。
―それは初めてなの?
―そう、むかしその手紙をもらって封筒から出したとき、なんだか単純な版画だなとおもって、そのまままた封筒に戻してしまった。
ただ左下すみに刷り番号が2/100と書いてあったから、そのことはよくおぼえている。G市へ引っ越してきて、荷物を整理してい
るとき版画があるのに気がついて壁に掛けることにした。それからでももうかなり経っている。それでこの間初めて、画が動くのを
知った。
―実際に見てないからわからないけど、よく言われる錯視とかそういうのじゃないの?
―そうかもしれない。大きくいえばきっとそういうことなんだろうけど、実際に見えると不思議な感じがするよ。
―一度見たいわ。
―歓迎するよ。ちらかっているけど。
去年の冬、彼女は一度彼の住むG市にやってきた。町を見においでよと、Aが誘ったのだ。そのときブリキ屋の場所も教えた。北に
見える青緑色の建物群やしずまり返った広い道路とその上をきしんで音立てて過ぎて行く路面電車を見せてやりたかったからだ。
―時間の感じや光の入り具合や、いろんなことが重なってそうなるんだろうけど、そんなことこれまで考えたこともなかったから、ほ
んとうにおどろいた。おおげさに言えば、画は何を表わしているのか、わからなくなった。
―そんなことが起こるのね。
彼女は仕事については毅然とした姿勢を示しながら、日常的なことに対してはときに無邪気ともおもえる反応を示した。かつてのI
とはそんなに近くで話したりしたことがなかったので、はじめのうちはとまどったが、それもいまはもう慣れた。
外はおだやかな日ざしの秋の午後になっていた。この何日間か風の強い日が続いたが、それも今日はおさまった。Aはこの数日仕事
場で午後の荷出しまでの間、久しぶりに風除けのビニール幕を一杯に引いてすごした。そうしないとこまかい木の葉やごみが倉庫の中
に入ってきてしまうからだ。いつのまにかそんな季節になっていた。
―ね、また美術館に行ってみない?
Iが学生のころのように言った。

日曜はよく晴れたので、路面電車に乗って古本屋街に出かけた。広い幹線道路を十分も行くと古本屋街に入る。街路樹のイチョウは
黄葉にはまだすこし早い。左右に並ぶ茶褐色の煉瓦の建物が古い石畳の歩道と調和している。むかしは都市線で来て、古ぼけたD駅で
降り、石畳の歩道を南下して古本屋街に入った。だから今は楽になった。路面電車の停留所からすぐ南に、よく行く中国書籍のN書店
がある。ルーティーンで歩くのがいちばん楽なので、いつの間にか同じ本屋に寄ることが多くなってしまった。
N書店はこの辺の本屋の通例で間口が狭く奥に長い。通路は二つ、書棚は四列。いちばん奥に店員がいる。以前一度うろ覚えの本に
ついてその在庫をたずねたことがある。そうしたら分厚い目録を黙ってぽんと渡されて、困ったことがあった。それ以来あまり不用意
にたずねることはしない。
入口付近は一通り見ているので今日は奥に入っていく。目がうす暗さに慣れるのにほんのしばらく時間がかかる。年取った大柄でめ
がねをかけた店員が、図書館へでも発送する荷物なのか、黙々と作業を続けている。置いてある伝票には未知の書名がならんでいる。
Aは邪魔にならないようにして、そのすぐ前の本棚を見ることにした。
中段のちょうど目につきやすいところにあった、大冊のうすねずみ色をした表紙の甲骨文字の辞典に手を伸ばした。手に取るとずし
りと重い。独特の油のにおいがする。今はむかしのようなほんとうの油印本というのは少ないのかもしれないが、中国の本には独特な
においがある。中は黒い枠取りに縦に罫線が引かれ、そこに手書きの文字が印刷されている。文字のくずしはそれほどきつくない。手
書き文字の中には、あまりに達筆すぎて読みにくいものも多いが、これならばなんとかなる。
前書きが長いのでそのいちばん終わりを見てみると、この辞典を作るのに八年かかったと書いてある。前書きのあとの目録に見出し
の甲骨文字がならんでいる。本文を見ると「字形結構不明」「義不明」と書かれているのがかなりある。正直で好感がもてるので買う
ことにした。これだけ重いとこれから歩くのに不便だったが、帰りにもう一度寄るのもめんどうなので、そのまま買ってしまった。
向かい側の歩道をすこし南に行くと、古い二階立ての喫茶店がある。一階は事務所のようになっていて階段を上がると店になってい
る。昼食をとらずに出たので、簡単に済ますことにした。客はいつもほとんどいない。これで大丈夫なのかなとおもうが、 まだ続いて
いる。
窓から下を見ると、人々が急ぎ足で歩道を通って行く。本屋の人なのか、大きな竹製の荷台を付けた頑丈な自転車をこいでいく。と
きおり路面電車が過ぎて行く。この風景はもう久しく変わっていない。彼はここで犀のようにひとり歩みさまよってきた。
彼が甲骨文字に興味を持ったのは、ずいぶん前になる。どんなものでも始原というのは心惹かれるものだ。ここから文字が始まった 、
それだけで充分な根拠となった。それからしばらくは入門書や解説を読んで過ごした。或る概念とそれを表わす図形、そのデフォルメ
された描出が時代とともに変化していく。
しかしまもなくして、始原の前にはなにがあるのかとおもった。なにもない。なにもないところへ向かっていってどうなるのか。概
ii
念はだんだん単純化し幼稚になっていき、その先端にはなにもない。そうおもったらあまり続ける気がしなくなってしまった。
それから引越しなどがあり、幾冊か集めた本もいつか散逸した。それなのに最近また甲骨文字のことを気にするようになったのは、
花火の版画のためだった。その画面の流動を考えているうちに、図形には時間が内在する、それを甲骨文字が示していたからだ。
版画の中で、花火はつぎつぎに打ち上げられ開いてゆく。それが無限に小さな版画の中で繰り返される。閉ざされた時間の中の出来
事と言ってもいい。文字にもこうした閉ざされた時間が内在するかもしれないとおもった。
かつて王国維の観堂集林を見ていて、ひとつの文に出会った。それは「亙」という文字について書かれたものだった。この文字には
「わたる」とか「永続する」とかという意味がある。王国維は言う、その甲骨文字において、上下に引かれた 二本の水平な線は川岸で
あり、その間に一艘の三日月型の小舟がある、小舟は両岸の間を行き来する、それで「わたる」とかその行き来が「くりかえし行なわ
れる」という意味になる、と。
王国維が漢字の中に時間が内在することを構造として明示したと感じたとき、その精密な推論に打たれはしたが、そのときはそのま
まに過ぎた。それが今、花火の版画によって白日の下によみがえってきた。
観堂集林を彷徨の日々にもとめたときは、かろうじてその一部を理解しえただけだったが、そこには、希望が一条の藁のように輝く
ことが予感されていた。それが今現実となった。
観堂集林釈西において、「西」という字が鳥の巣であることを示し、史籒篇疏證では「中」という字が旗が風で同方向になびく状態
であることを示した。すなわち鳥は日没に巣に帰り、旗は集団の中心で風になびく。まさしく文字の中に時間がながれていた。特に
「中」の字形で旗が左右になびくものを同一の風では起こりえない現象だとして、その字形には伝写の誤りがあり、譌字であるとした。
王国維の文はどれも比較的短いが、割注の一点一点の資料がその背後に広大な史実を想起させる、めくるめくような 鋭い見解に満ち
ていた。文学においても人間詞話で微細精密に言う、空中の音、相中の色、水中の影、鏡中の象、言に尽有りて意は無窮たり、と。言
語の有限と意味の無限に触れる。また言う、「細雨流光を湿す」の五字は皆能く春草の魂を撮るものなり、と。王国維は 1877年に
生まれ、1927年に没する。研ぎ澄まされた天稟で近代を生きた、あるいはみずからが近代そのものを築いたのか。
部屋に帰ってもとめてきた辞典を通読しているうちに、「育」の甲骨文字に惹きつけられた。この字は上が出産する女性の形象、下
が生まれてくる子の形象ということがはっきりわかる。古形では従って子は逆さまに書かれている。資料によっては出産時の羊水を明
示しているものもある。つまりこの字の原義は出産そのものだが、出産後はすぐに養育が始まる。従って「そだてる」という意味が出
てくると記されていた。この文字に内在する時間という観念からすれば、出産の準備から出産そのもの、そして養育というふうにとる
ことができる。
気になったので、この字についてあらためて、王国維が小学においてもっとも服膺した段玉裁の説文解字注で見てみると、逆さまの
子は善くないので、それを善くさせるべき意味を持つものだ、と書かれていた。その説明は、 「逆さまの子」という部分に原資料の面
影を残してはいるが全体としては抽象的で、原資料が持つ出産の具体的な経過を示す図形とそこに内在するとおもわれる時間からは、
かなり離れてしまったものになっていた。
稀代の碩学、段玉裁は1815年に没する。1899年発見の甲骨文字は遂に未見だった。

雨になりそうな天気だったが、Aは工芸展を見に行くのに、Iを誘った。
都市線をK駅で降りて簡単に食事を済ませてから、大通りへ出た。
―このまえ一緒に来たのはいつだったかしら?
Iは遠くをふりかえるように言う。
―いつだったろう、ほかの人とは来なかったの?
―たまにはそうしたいけど、だめみたいね。
Aを見て彼女はほほえむ。
降りはじめたが、傘をさすほどでもない。
天使のやさしさで振る雨。
―こんな日に誘ってわるかったね。
―そんなことない。うれしかったわ。
以前よりあかるくなった彼女を見ると、ほっとする。
通りにはいろんな看板が見える。
左手奥にたしか老舗の海苔店がある。
―今日はかえりに海苔を買いたいな。
―海苔?
―少しだけいい海苔を食べてみたい。ほかにおかずもいらないし。
―そんな食事ばかりなの?
―朝はね。夕食はちゃんとつくるよ。
通りの窓に、雨の都市で語らう人たちが映し出される。
工芸展はM百貨店で毎年秋に行なわれていた。
―十日くらいで終わってしまうと、なかなか見に来れないものだね。
―誘ってもらってよかったわ。
―ひとりで来ようか、すこしまよったんだよ。
―ありがとう。
傘をさす人はほとんどいない。
二人が再会して、三度目の冬がまもなく来る。こんなにしばしば会うようになったのは、比較的最近のことだ。
AがG市に移ってからはS駅に出やすくなったので、むかしよく行っていたK書店にまたときどき出かけるようになった。そこでI
と再会した。
車と人がしだいに増えてきた。
中心街へ入ってくると、点灯した車のライトがまぶしい。建物が高くなってきた。二人の頭上には、はなやかな、赤と紺の地に金で
縁取りされた小旗が歩道に沿って飾りつけられ、それがずっと先まで続いている。
―祝祭の前夜のようだね。
iii
何に対しての前夜だったのか、自分がその中にいるとおもった日々が、かつて確かにあった。
―前夜?
―そう、前の日の夜。
―クリスマスのような。
―そんなすてきなものじゃなかった。でもきっと、なにかを待っていたんだろうね、自分なりに。
―なにを待っていたの?
Iの髪に車の光が移って行く。
―もうよくおもいだせないけど、たぶん、やすらかな自分をかな、へんな言い方だね。
―そんなことない。私はもっとだめだったから。
―でもなにも来なかった、たぶん。
祝祭は遂に来なかったのかと、あらためておもう。
こまかな雨が行く人の肩をぬらしている。
―それでもなんとかなったんだね。こうしているから。
いつからか祝祭を待つおもいは消えた。あるいは祝祭も前夜も、知らぬ間に過ぎて行ったのかもしれない。
二人が、というより二人を含む何人かがともに大きなテーブルを囲んで学んでいたころから、もう遠いところに来ていた。
―Yが亡くなったのか。
Iはだまってうなずく。
再会したK書店を出て、立ち話をしているうちに、Yが亡くなったことを伝えられた。Aは彼の死を知らなかった。
―いい人ははやく逝ってしまう。
言語学のほとんどすべてをを教えてくれたCも早く逝った。塔と橋のある古い都市をこよなく愛したC。彼が書き残したものの中に
「カルパチアの月」というのがあった。
彼は記す、会議を終えてキエフを発し、カルパチアの山に月と教会を見て、ひたすら西へ向かい、スロバキア、モラビア、ボヘミア
を過ぎ、遂に「黄金のプラハへと着いた」と。彼の青春であったプラハ。
あれほどの言語を自在に駆使しながら、彼からもうその逸話を聞くこともできない。新聞は 彼の死を、小さな見出しで言語学の天才
と報じた。
夕ぐれにはまだ時間があるのに、イルミネーションが灯り始めた。雨がこまかく降っている。M百貨店も右手前方にあかるく光って
いる。
―帰りにコーヒーを飲んでいかない?
手前の新しそうな店を見ながら、Iが言った。

版画を描いて送ってくれたKのことをおもい返した。
最後に連絡があったのは個展の案内で、はがきの裏側に描かれていたのは、中国かベトナムらしい小舟に笠をつけて一人がすわり、
ランタンのような灯りが黄色く灯っているものだった。かつてKの部屋にも小舟の画があったから、それは彼の主題のひとつであった
のかもしれない。会場はたしかY市だった。もうお互いに離れてからだいぶ経っていたし、Y市ではでかけるのも遠かったので、返事
も出さないで過ぎてしまった。それ以後の連絡はなかった。
あらためて彼の版画を見る。近くで見た画面は、紺の濃淡のみの簡略化された花火の打ち上げにしか見えない。下から三分の一ほど
のところに水平な線が三本通っている。川面のようにも見える。そして幾本かの花火の上ってゆく軌跡と頂点での開花がある。中央や
や左側にいちばん大きな花火がある。その下方に二つ、右上方に一つ。あと左上方と右下方に縦型の花火が一つずつ。花火はみなで六
つだった。
これが夕方のというか、そのころの光の具合のときに、花火がつぎつぎに打ち上げられてゆく。Kはそこまで計算して版画にしたの
か。それとも花火の本質を描けばその結果としてそうなるのか。Aにはこまかなことはなにもわからなかった。ただすべてはそのよう
に進んだ。
画の刷り番号は2番。そこにAへのおもいのすべてが記されていた。
版画の右下に書かれた細いペンのサインを見ながら、そのころKが言ってくれたことをおもいだした。どんなときでも自分の名まえ
を書くときはこの上なくていねいに書かなくてはいけない、と。

仕事を終えて、駅から家に帰る歩道の隅に、鳥がうずくまっているのを見つけたのは一週間前だった。 ヒヨドリだった。秋雨が何日
間か続き、町は灰色にくすんで見えた。高架線の向こうの高い建物群が雨の中で中世の塔のように見えていた。高架線をわたる電車が
こもったような低い音で過ぎると町は一瞬しずまり返ったようになる。
鳥はもう死んでいるのかとおもったが、手でその背から腹に触れると、こわばった体が小刻みに動き、首を揺らした。まだ生きてい
るとおもい、両手で抱き上げると、鳥の膨らんだ胸のかすかな鼓動がてのひらに伝わってきた。両目を閉じたまま、動きは鈍い。寒さ
のためか、餌を得られなかったのか、胸の毛はまだ雛の柔らかい産毛を残したままだった。独特の頭の霜降りの毛からすぐに ヒヨドリ
とわかった。たぶん夏の終わりに生まれたばかりで、尾羽はすでにながく伸びていたが、まだ独り立ちして二ヶ月たったかどうか、そ
んな鳥だった。
Aは小さいころ、何度か鳥を飼った。正確にはAの母が、落ちた雛や傷ついた鳥に餌をやって元気になると放してやったのを、一緒
に世話したことがあった。丘陵に近かったせいか、小鳥たちはたくさんいた。鳥の名人という年寄りもいた。一度、ヒバリかオナガか
弱ったままで、充分に普通の餌を食べない鳥の世話をしたとき、その名人の家に餌を買いに行った。家は普通の民家で、玄関から声を
かけると、何度か友達同士で見に来たので顔だけは知っている小柄な老人が出てきた。
Aが小鳥の状態を放すと、老人はいったん奥に入り、戻ってくると、手にたぶん老人が調合した餌を持っていた。Aの前で老人はて
のひらにすこし餌を出してそれをなめ、うん、これでいいといったふうにして渡してくれた。この人はほんとうに名人なのだ、そうお
もったことを、今でもはっきりとおぼえている。そういう人が町の片すみにひっそりと住んでいることに対して、Aは言い知れない安
堵のおもいをいだいた。その気持は今もそのまま続いている。
てのひらに鳥の重みを受けたまま、Aは住まいに急いだ。鳥は右目を開けてくれたが、左目は閉じたままだ。小さいころから、鳥は
iv
目を閉じたらだめだと聞かされていた。にび色のまぶたが左目をおおい、そちら側から見ると死んだように見えるが、てのひらにはま
だ胸の鼓動が続いている。水をやって搔き餌をやらなくてはとおもう。とりあえずは、小麦粉か米粒かで代用するしかない。幸い先日
八百屋で、安い出たての小さいみかんを買ってきてある。それはたぶん好きなはずだ。すぐだからがんばれと、彼は急いだ。
部屋に入ると、隅の方に新聞を敷いてその上に載せた。足が弱っているのかうずくまっている。あまりいい兆候ではない。目を見る
とどうにか左目も開けてくれた。部屋の暖かさがいいのかもしれない。水をスプーンでやるがまったく飲もうとしない。顔を背ける反
応もしない。ヒヨドリのくちばしは細く鋭い。こんなに細いものなのかとあらためておどろく。たしかに虫をついばむか、果物をつつ
くのにはいいが、ふつうに搔き餌を食べるのにはどうか、そうおもわせるくらい細い。小麦粉を練って指先につけてくちばしに持って
いったが、食べようとしない。ためしにくちばしを開けてみようとしたが、ぴったりとかたく閉ざしたままだ。みかんを切って持って
いったがこれもだめ。食べる力さえないのか。それでも万が一飛び立つと困るので、とりあえず、スパゲッティをゆでるときに使う金
ざるでふさいでおいた。ヒヨドリの長い尾羽がすこし曲がって窮屈そうだがしかたない。しばらくそっとしておくことにした。さっき
に比べれば、目を開けて生きている。それが続けばなんとかなる。
自分の夕食を準備しながらも、鳥の様子が気になった。その間に一二度羽をばたばたさせた。体が温まってすこし元気になったのか
もしれない。
食事を済ませて、鳥にまた餌を与えようとしたが、今度は鳥があとずさりしたり、首を振ったりしてやはり食べようとしない。おま
えにも意志があるのかとおもい、それはそれでいいことだとおもった。いい兆候だ。元気になったらどこに放そうかと、それが一瞬気
になった。二つ割りみかんをもうひとつ金ざるの中に入れて、部屋の隅に置いた。野性があるならその方が勝手に食べられるかもしれ
ない。今すぐに死ぬことはなさそうだ。
遠くで雷が鳴っている。これで雨もおさまるのかもしれない。

翌朝起きると鳥はかなり元気になっていた。Aが起きる前から、もうときどき羽をばたつかせていた。みかんを見るとつついた痕が
ある。これならたぶん大丈夫だ。小麦を練ったのはやはり食べてない。今日どこかで搔き餌を買ってくるか。その必要もなく放してし
まうか。朝食のパンと牛乳を手にしたまま、そんなことを考えた。パンをちぎって入れてみたが、これはやはりついばむ様子がない。
果物がいちばん好きなのだ。
スズメなど平和そうに見える鳥も、冬を越して翌年まで生き延びるのは一割ほどだという記事をどこかで読んだ。巣立ったらもはや
ひとりだけで生きなければならない。これは人間よりたいへんか、そうおもいながら家を出た。外へ出るともう肌寒い。この朝の風景
に出会うと、世界はいいものだと、Aは単純だが真実そうおもう。みなどこかへ足早に動いてゆく。それぞれの当面のかけがえのない
目的のために。Aにも倉庫の仕事がある。
この仕事は作業が明確で一定しているが、荷解きの内容は季節によってつぎつぎと変わる。新しい製品が出ると、従来品との案分が
変わる。在庫と滞貨の管理がある。欠品の確認がある。Aたちの作業はその日のうちに一旦完了するが、仕入れ担当は適時に価格を見
込んで補充する。倉庫の外には運送がある。着いたばかりのトラックの運転手が、はたから見ていてもぎりぎりの往復運転でまた会社
へと戻って行く。仮眠を含めた二日がかりの運送はさらにきびしい。腰を痛めても血圧が高くても、定時には目的地に荷物を届けなけ
ればならない。それは絶対的なものだ。
定時になると荷物を依頼主に届けるトラックが続々と入ってくる。
伝票とベルトコンベアとダンボールの箱が、Aたちの仕事の対象だ。そのながれを迅速に処理していく。できるだけ余分な疲労を避
けて、明日以降の荷物の移動も考慮に入れながら、荷物の群れを配置し荷解きしていく。こうして日々膨大な品物が流通する。それが
実感できるのが彼は好きだった。
日々の中で、この仕事に生きる人たちがときおりのぞかせるはっとするほどの集中と洗練が、どこかでなお傍観者としての意識が消
えない彼に、おまえはいったいどこにいるのかと問うことがある。穀物を専門に扱うPが、使い込んだ麻の前掛けをひらりとさせなが
ら前を通って行くと、まるで横綱のような風格を感じてしまう。Aはいまも、そのほとんど脱色した紺の前掛けを自分もつけてみたい
とおもうことがある。まったく似つかわしくなく、かなわない夢であることを知ってはいても、迷いなく真摯に生きる姿にあこがれに
似たおもいをいだくのだ。
―Aさん、そっちの伝票送ってくれないか。
飄々としたSの声が、リフトカーの向こうから響いてくる。昼までにさばく荷物が今日は多い。季節がまた移っていくなとAはおも
う。

Kが送ってくれた一枚の版画は、Aの中でこれまで棚上げされていたいわば生きる姿勢に、いつか決定的な重みを与えていることに
気づくようになった。それは遠くまでたどれば、Iがおぼえていてくれた、中央アジアの祈りを考えていたことにもつながってゆく。
これまであまりにも茫漠として、どこからどのように接近していけばいいのか、まったく手つかずであったか、あるいは怠惰を口実に
避けてきたかもしれない彼自身の思惟の対象に今度こそ真正面から向かいあう糸口が与えられたように感じた。
一枚の版画の中には、それがたとえ錯視であれ、つぎつぎと花火を開かせる、流動する時間が存在した。それは漢字の意味の生成に
おいて想定される構造的な時間とつながる。それとは別に、中央アジアの壁画の中で菩薩や衆生が祈るとき、画面の中に祈りの時間が
感じられる。それは漢字の内部に構造的に存在する時間とは異なるものだ。画面全体が或る事象の最終場面を示している。祈りは過去
から始まりその時刻に至った。言い換えれば閉ざされた時間の最後を画面は提示していた。
林巳奈夫は、殷周時代の青銅祭器に年代的秩序を設定する半世紀におよぶ作業の中で、角の有る神を龍以前の最高神と仮定した。ひ
とつの最高神の図像が悠久な時間の或る時期の最後の形態として登場する。合掌と有角神には共通して時間の堆積がある。
それらの果てで、すべての形において、時間もそのひとつの要素であるところの意味を有する言語の存在が問われる。それは困難だ
が明確な思惟の対象だ。
老子注で王弼は言う、「万物万形その帰は一なり、何に由りて一を致すか、無に由りて一なり、すなわち一つ一つは無と謂う可し、
すでにこれを一と謂う、豈に言無きを得んや、言有りて一有り二に非ず、一有り二有りて遂に三を生むをいかんせん、無に従うの有、
その数は尽きるか」と。無からひとたび有が生ずれば、すべてはそこから言語として派生する、と記す。無から有が生ずる言語の問題。
王弼はさらに言う、「周とは窮まらざる所無く、極とは一に偏よらずして逝くなり、ゆえに遠なり」と。めぐるものはきわまること
がなく、ひとつにかたよらないものは遠くに行く、と記す。巡回と無限の問題。
王弼の注はふたつとも、言語の本質に係わり、Aの中では大鹿健一の仕事と重なった。
v
大鹿によれば、位相空間としてのタイヒミュラー空間の定義に始まり、サリヴァンとアールフォースの有限性定理を経て、幾何的有
限群の極限として幾何的無限群が構成される、とする。簡約すれば有限から無限が構成される。
言語は有限の語によって無限に文をつくることができる、この一見あきらかともおもわれる言明は厳密にはいかなる証明をも経てい
ない。従ってこれをひとつの予想 Conjecture とするなら、大鹿はその解決 Solution のためのひとつの強い方向を示唆した。
むかし、そんなこと考えるなと、敬愛するCから言われたことに対して、今は正面から向かい合うときが来た。それは、Kから送ら
れてきた版画に起因するが、今はすでに版画を超えるものだ。ただ版画が彼に、内在する時間というものを厳然としたひとつの事実と
して明示してくれたことは、途轍もなく大きなことだった。それがたとえ錯視の一現象であったとしても、それはもはや彼にとって何
の障害にもならなかった。なぜなら彼が求めていたのは、日常の具象を超えた普遍性であり、それを明確に表記することであった から。
しかしそれは、当時Cとの会話においてしばしば話題となった言語の類型性や音韻の弁別性から帰納されるような、すなわち事象とし
て存在する個別の言語から導かれるような言語普遍性 Language universals ではなかった。
今、事象と普遍を結ぶものとして図形が現われた。一枚の版画がそのことを教えてくれた。時間や祈りや感情など、すなわちすべて
の意味あるものを包括する言語はなんらかの図形へと集約され、その図形は幾何の方法で表記される。薄明のながい夜が明けた。
夜はながかった。かつて彼は言語の表記に対して直接に集合論を用いようとした。ゲーデルの不完全性の証明があまりにも衝撃的で
あり、そこでは不完全というひとつの明確な意味が完璧に表記されていたからだ。しかしそ の論理を言語そのものの意味に対して拡張
することは20世紀なかばまでの数学基礎論の成果では多分至難であり、Aの能力からすればさらに無謀であった。それからの半世紀
は数学の数学以外への応用を縦横に展開する方法を整えてくれた。ながい助走を終えて数学は広く世界に飛び立ったと、上野健爾は森
田茂之との対談で述べていた。それは現代数学とともに歩み、ようやくたどり得た数学者の深い感慨であったのだろう。上野健爾と清
水勇二の共著「複素構造の変形と周期」は数学的な対象全体への構造化を概観し、そのころ言語の構造的なモデルに腐心していた A に
大きな転換を与えた貴重な本であった。
しかしふだんの生活に用いている自然言語に数学で表記できるような構造が内在するのだろうか。「クレタ人の嘘」と呼ばれる循環
する真偽問題は、もし言語がメビウスの輪のような 2 次元の構造を持っていて、言語がその平面を一方向のみに移動する oriented と仮
定すると、この不思議な命題は、真から僞へ、僞から真へと、その平面上でごく自然に際限なく繰り返すことは当然だった。
言語についてほとんどすべてを教えてくれたCから、おまえは今何を考えているのか、とたずねられたことがあった。Aは当時、
ゲーデルと親交のあった竹内外史の集合論に心酔していたから、意味の中に存在する構造を集合論的に考えていますと、素直に話した
ことがあった。するとCは即座に、おまえ、そんなことはやめろ、それはウィトゲンシュタインなどがやることで、おれたちがやるこ
とじゃない、と言って、Aの進む方向を心底心配してくれた。二人が一緒に帰る電車の中でのことだった。Cはさらにことばを接いで
みずからをふり返り、おれは結局、研究者じゃなかった、解説者だ、と卑下することなく言った。
―一度だけそのチャンスがあった。法則を発見したとおもった。言語における出現の頻度についてだ。それから二三日は調べまくった 。
すでにその法則は見つけられていたけどね。
Cはそう言ってことばを止めた。年上だが彼はAに、年齢差や経験差を考慮することなく、彼の有する言語についての知見を可能な
限り教えてくれた。言語にあるのは事実と法則、それが彼のすべてだった。Cはみずからそのいずれをも発見できなかったと明言して
いた。Aにはそのとき返すことばがなく、ただだまって受け止めるだけだった。
この法則のことはその後もずっと気になっていたが、あるとき蔵本由起を読んで、ほぼ明瞭になった。Cが言っていたのは、アメリ
カの言語学者、ジョージ・ジップによって発見された経験則かそれに関連するものだったとおもわれる。
蔵本に従えば、ジップの法則とは、文学作品などに現われる単語の出現頻度の順位は逆ベキ法則に従うというものだった。例示され
た時田恵一郎と入江治行の図によれば、シェークスピア、ダーウィン、ミルトン、ウェルズ、キャロルという異なる分野の著作におい
て、見事な類似が示されていた。特にウェルズの「タイムマシーン」とキャロルの「不思議な国のアリス」ではほとんどまったく重複
するカーブとなっていて、同一の作品ではないかとおもわれるくらいだった。
二十世紀前半に発見されたこの卓越した経験則を、時田と入江はサンプルとなった著作に出現する単語において1から 100000 まで
の頻度とランクを解析しグラフ化することで、まちがいなく不動の科学的な法則であることを追認した。
すなわち著者がその思考を表現するために自由に選択したとおもわれるすべての単語が、この法則によればどの著者においても、ど
の単語を何回用いるかという相関関係においてはほぼ同一になることが、現代科学の数量的成果として美しいまでに示された。
むかし K から詩とは何かと尋ねられたとき、A は、素朴なレベルで、詩とはそれまでの言語の規範から逸脱しようとすることだろう
かと答えたが、今は文学全体が、人間が作ったであろう言語の強い法則に逆に支配されていることを本能的に知って、ながい果敢な闘
いを挑んできたようにも感じられた。
ガリレイではないが、それでも異なる人間の著作が、これからもジップの法則に従って、常の同一に近いカーブとなり続けるだろう
こともまた事実だ。
Cはしかし、A のこうした言語に対する過度な観念化を好まず、その生涯をかけて言語の 事実とそこから抽出される法則を追い、そ
れらを見出さなかった。そして或るとき突然の病いで逝った。言語学を愛した幾冊かの本を残して。最後の本の名は、 「言語学への開
かれた扉、Janua Linguisticae Reserata」。彼が言うように、扉は万人に開かれていた。ひたすら追うのであれば。
Cが生きていれば、今またAに問うかもしれない。おまえは今何をしているかと。そしてAもまた同じように答えるだろう。事実で
はなく普遍を追っています、こりることなくと。
生きていれば、あの急な階段をのぼって、天井の低いテーブルでまた話していただろうか、Cよ。転注をめぐる研究の国境を超えた
つながりの中で、再発見された転注論の貴重な原稿を損傷させないために、発見者みずからが飛行機に乗って届けてくれたことなどを
だから途方にくれるようにまずしかった私はどれほど勇気づけられたか、Cよ。駅前の路地を入ってすぐ左の、掘っ立て小屋のよう
だったあの店の名まえはカリフォルニア。ぼくらの決して悲惨ではなかった忘却の紀念に、今はそれを書き記そう。
しかしAは、Cの怒るような忠告を心から謝して受け止めながらも、違った方向をとり続けた。事実は彼の対象ではなかった。人間
の事象である以上、すべては一度事実として顕現する。そこになんらかの法則が現われるかもしれない。しかしAはその方向を望まな
かった。
言語における内的構造は、Aの場合、集合論から図形を経て、幾何へと行き着いた。すなわち時間もまたひとつの意味である普遍的
な言語を表現したものとしての図形を、明確に表記するただひとつの方法として、彼は今幾何を選び、そこにもう迷いはなかった。
一枚の版画がそれらのすべてを導く原点に厳然として存在していた。
岡潔が言っていたように、決定的なものはながい余韻を残す。Aは無性に町なかを歩いてみたくなった。かつて歩いたところを、い
つもさまよってばかりいたところを、もう一度ゆっくりと歩いてみたくなった。
古本屋街のあるD駅へ都市線で向かった。古ぼけたホームから階段を下りる。低い梁がながい間の埃にすすけ、階段は黒く縁が磨り
減っている。製図学校や簿記学校の活字の多い広告が変わることなく貼られていて、ああまたここに来たと彼はおもう。
vi
改札を出ると夕ぐれの町が若者たちの姿をなかばシルエットにして、行き来させる。左側に売店がある。その前方のガード下に幹線
道路が走り、道路を路面電車がきしみながら過ぎて行く。右へ行けば古本屋街。中央のガードの下に、つまり都市線の下に、運河がな
がれている。駅名と同じ古ぼけたD橋が架かり、よどんだ水面をときおり平たい荷舟が通って行く。むかしとなにも変わらない。
橋の向こうは大きな交差点で、その向こうに灰色の高い学校がある。夕ぐれの中に点々と、まだ学んでいるのか灯りがともっている 。
これもむかしのままだ。橋に立って川面をながめていると、人々が絶え間なくながれて行く。橋はそういうところだ。とどまるところ
ではない。Aはそこから運河をながめているのが好きだった。荷舟はどこまで行くのだろう。いずれ海辺近い港か集積場で荷を降ろす
のだろうか。荷舟は時のながれを二重にするかのように、よどんだ運河の上をゆっくりと下方へと移動して行く。
運河の左手は駅舎で、右手は建物群の裏側になる。いくつもの看板が駅の方に向いている。東洋王者が構える姿を描いたボクシン
グ・ジムのややゆがんだゴシックの看板はまだ健在だ。
橋はもうところどころコンクリートが剥げ落ちている。古ぼけた町にふさわしい。錆びた鉄の欄干にもたれていると、今日は多いの
かもしれない荷舟がまた橋をくぐって行く。
もはや本屋街をさまようことはない。対象は私のうちにある。私はただこの運河をながめていればいい。遍歴は終わった。たぶん永
遠にマイスターにはなれないだろうが、みずからの小さな仕事場で、日が落ちるまで作業をすればいい。すると仕事場の窓辺を聖者が
通って行く。かつてそんなロシアの民話を読んだ。
秋の日ぐれは早い。路面電車のヘッドランプがまぶしいくらいだ。黄褐色の窓に少ない乗客が照らし出され、古本屋街の方へ消えて
行った。駅の売店がにぎやかな橙の光に包まれている。

ヒヨドリはだいぶ元気になった。しかし野性はAになつくことをしない。いつまでも金ざるに入れておくわけにもいかないので、金
物屋で金属製の比較的大きな鳥かごを買ってきた。どこかに行けばむかしの竹ひご製の鳥の足になじむ鳥かごがあるのかもしれないが
そこまでのエネルギーはなかった。何の鳥ですかとたずねられたので、ヒヨドリだと答えると、最近は都市にもかなり繁殖しているよ
うですと教えてくれた。
しかし生き残るのはたいへんだ。ヒヨドリを住まいに持って帰った当初、胸や背に残る産毛が膨らんで、体全体が空気のすこし抜け
たゴムボールのように不恰好になっていたが、元気になるとその産毛が羽の下に隠れるようになり、体全体が細く引き締まって、若鳥
らしく見えるようになった。餌は相変わらずみかんだけで、ほかのものは食わない。虫などを与えればいいのかもしれないが、それも
面倒だ。みかんを鳥かごに入れるときは、ギャアギャア騒ぐ。野性はすごいものだ。そう簡単には人間に慣れない。そのほうがいいの
かもしれない。
しかしこれだけ元気になるともう放してやらないとかわいそうだ。都市の中で生きるか、そうなるのかもしれないが、一度は野山に
返してやろう。もしかしたらこいつはそれすらも知らないかもしれない。丘陵か大きな林かそうしたところがいいが、Aはとっさには
いい場所がおもい浮かばない。郊外線に乗るしかないかなとおもう。
画家のKが住んでいたO駅をさらに北に行くと左手に丘陵が見えてくる。その辺のどこかで放してやるのがいちばんいいか。主人に
対してそっけない鳥でもしばらく接していると親しみが湧く。ヒヨドリという鳥は鈍いというか、そうぞうしいというか、そういう印
象だ。近づいてもなかなか逃げない。人間などあまり気にしていないようだ。霜降りの毛がぴんぴんと立った頭部はやんちゃぼうずの
ような感じだ。いやだとギャアギャアけたたましく鳴く。これでも生き延びるのはたいへんなのだろうか。
郊外線に乗れば久しぶりにKが住んでいたR荘が見られる。もしもまだ残っていればだが。あの古さではもうなくなっているかもし
れない。トイレの四本の煙突のくるくる回る先端はロシアの教会の尖塔みたいだ。むかしCが教えてくれたロシア語。その縁で会話を
教えてくれたロシア貴族の末裔だったM婦人。「ロシア語には暗い母音と明るい母音があります、ヴォルガは暗いほう」、そう言って
何回も黒板に明暗の母音を書いて教えてくれた。母なる河ヴォルガを異国でおもい続けたMの、いまも耳に残る優美な発音。
あるとき、彼女がAに暗誦するようにと、青いボールペンのながれるような筆記体で書いてくれたのがレルモントフの詩だった。ミ
ハイル・レルモントフ、彼の名はミハイルだった。あまりにもうかつだった。Aの学習用のロシア名はミハイル、M婦人が自分で好き
な名まえをつけなさいと言ったからだ。
―ミーシャ、あなたはどこでそんな言い回しを覚えた?
―これです、M。ティーチ・ユアセルフ叢書。
―どこで買った?
―S駅のK書店です。
Mがレルモントフを選んだのは、それが名作だからだとばかりおもっていた。しかしレルモントフの名はミハイル。Aのロシア名と
同じだ。Mはそれまで考えて与えてくれたのかどうか。今はもう聴き返すすべはない。レルモントフの詩、「一人、旅に立つ」。
10
窓の下に雑踏が見える。S駅を降りて、ここはK書店に近い。
―それで版画はどうなったの?
やっぱり気になるらしい。
―動いているよ、いつもというわけではないが。
土曜日に会うのはいつか習慣のようになった。
―ただそれにはもう慣れたというか、そのこと自体は付随的なものになった。気になることの中心が変わってきた。中国の周易に、
「中心疑えば、枝分かる」ということばがあって、中心にあるものを疑いだすと、際限なくばらばらになってゆくということらしい。
今までその中心と言うものが私にはなかった。いつもふらふらしていて、それはきみもわかっていたかもしれない。能力の問題もある
かもしれないが、それだけでもないらしい。キルケゴールがね、人間には二通りあると書いている 、「使徒と天才」という文の中で。
使命を持った使徒と、芸術を持った天才と。芸術というのはぼくの勝手な要約だけど。人はそのどちらかで生きるらしい。いいとか悪
いとか、そういう価値ではなくて、それはもう分岐として決まっているらしい、たぶん生まれたときに。もしかしたら生まれる前から
かもしれないけど、ここからはぼくの解釈で、使命のある人はそのまま生きればいい、そこに疑いは一切ない。それ以外の人は、みな
天才になるしかない。もうほかに選択はないから。人は懸命にその人の芸術を見つけなければならない、しかしそれはそう簡単には見
つからない。
A はむかしの I に対してのように話しかける。
―天才は天才でたいへんらしい。彼自身の芸術を見つけなければならないから。しかし当然だけど、それは容易には見つからない。そ
vii
れがこれまでの自分だった。
―ふうー、むずかしいけど、それで芸術はみつかったの?
―それが長い迷路の果てにというか、偶然にと言うか、あの版画が教えてくれた。花火がつぎつぎに上がっていく、そこには多分、心理的に
であれなんであれ、なにがしかの時間がながれている。それをぼくは内在的な時間とした。そうおもった、これで半分。あとは、それ
ならその内在する時間はどこにあるのかと、考えた。版画の中にじゃなくて、ここからはもう版画から少し離れていく。そのときね、
ずっと気になっていた王国維という人が言った漢字の中に内在する時間というものとつながった。文字の中には時間がながれていると 、
ぼくはそんなふうに王国維を理解した。こうしてやっとぼくの中で時間と文字がつながった。大丈夫?
―大丈夫じゃないかもしれないけど、続けて。どうせ続けるんでしょう?
―悪いね、疲れているのに。それでここまでで三分の二。まだ自分の中ではっきりしない。
―はっきりしないってどういうこと?
―決定的じゃないってこと。さっきのことばでいうなら、まだ芸術になっていない。
―あと三分の一。ふう、がんばって。
―そこまでは比較的スムーズにいった。ところがその文字の形がわからない。もう漢字からは離れているからね。漢字では普遍性がな
いから。普遍的な時間、普遍的な文字、普遍的な形。それでその普遍的な形というものがどうしてもわからない。ようするに時間を内
在した文字はどこにどんな形であるのかがわからない。それで或る晩、ずっとそのことを考えていて疲れてしまったので、コンビニへ
飲み物を買いに出た。駅に近い方に一軒あるから。もう夜遅いんであたりはしんとしていて、あの辺はまだそんななんだ。それで明る
いコンビニで飲み物を買ってなんとなく雑誌を見ようとしたら、その脇にパンフレットが置いてあって、電子辞書の宣伝なんだ。おも
しろそうなので一枚取って家に戻った。飲み物を飲みながらそのパンフを見ていたら、ふつうの電子辞書じゃもうだめで、付加価値を
つけないといけないと書いてあった。あくまで一般用の辞書だから付加価値っていってもそんなに特別なものじゃない。今のぼくなら
この辞書はテフが書けますなんて書いてあったら、もしかしたら買うかもしれない。
―テフってなに?
―テフは tex って書いて、ややこしい数学の式なんかをちゃんと表記してくれるもの。
―進化したワープロ?。
―あ、そうか、そうかもしれない。とにかく付加価値がないといけないらしい。そのときにね、まったく脈絡がないような感じなんだ
けど、ひらめいたんだ、文字の形は球だ。どうしてなのか、その宣伝のロゴというかマークが円の縁に又小さな円が乗っている、そん
なもので、それからの連想かもしれない、とにかくそうおもった。文字は丸い球の形をしている。それがとりあえず虚空に浮かんでい
る。ほんとうはその虚空もちゃんと定義しないといけないんだけど、それは後回しにて。とにかくこうして文字の形が決まった。
―文字が丸いの?
―そう文字は丸い、というか、言語は丸い。こんな簡単なことがわからなかった。
―言語が丸いの?
―そう、言語は丸い。そして最後のひとつ、これで終わりなんだけど、その丸い球は quantum であるということ。日本語では量子と
いうのかな。
―量子?
ーそう、最小限の物理量。
―それが結論?
―そう、それでほんとうに終わり。あとはこまかな作業をやるだけ。
―作業って、書くこと?
―そう、そのことを記述する。わかりやすく記述すること。
―ただ書いていればいいの?
―そう、ひたすら書き続ける。
―検証はしないの?物理ならそうするでしょ?
―検証はしない、というか多分できない。片道だけの論理性。ほんとうの物理学じゃないから。
―うその物理学?
二人ともおもわず笑った。
―うその物理学じゃないよ。自由な物理学。モデルをつくること、芸術。それでぼくもなんだか天才らしくなった。
―天才ってそんなに簡単になれるの?
11
岡潔の本をあこがれを持って読み続けたときがあった。発見のよろこび、記述するよろこび、かけがえのない友情。中谷治宇二郎の
存在。湯布院での会話。サイレンの丘越えて行く別れかな。中谷が岡に送った最後の句。
Iに話してからあと、Aはひたすら勉強した。書きたい想念が次から次へと沸いてきた。それをパソコンに打ち込み、自分の Web
ページに送った。そうすれば手元になにも残さなくていい。手元に置いたものは、これまでそうだったようにやがて散逸する。今度だ
けは彼は存続を望んだ。みずからの記述の跡を記録しておきたいとおもった。
夜もひたすら書き、休日もひたすら書いた。組ひも理論の大槻知忠は tex 上で考えると言ったが、そんな感じだった。
考えるための資料が手元にはほとんどないので、休日になると図書館へ行った。彼の住まいから駅とは反対方向へ進み、右折してゆ
るやかな坂を上るとそのちょうど丘頂に当たる部分に図書館があった。門を入ると、ひろびろとした芝生の前庭があり、人々はそれぞ
れのくつろいだ姿で休み、語らっていた。のどかで心休まる空間だった。建物は三階建てで片仮名のロの字形をしていて、真ん中は中
庭になっていた。中庭にはベンチと芝生があり、そこにも人々が適宜憩っていた。
Aは三階の北面の数学のコーナーに行き、そこで必要な本を読んで過ごした。住民なので借りることもできたが、それは最小限にし
て、閲覧するだけにした。家では思考と記述に専念した。いい図書館でAにとって必要な本はほとんどそろっていた。関連しそうなと
ころをくりかえし読んでメモをとった。わからない部分はそのままにして先へ進んだ。
或るとき、俣野博を読んでいたらその最後の方で、水や空気がミクロで見れば離散的であるように、将来は時間や空間もミクロでは
連続体でないことが明らかになるかもしれないと書かれていた。
流動する版画の時間も、離散的であるかもしれない。究極では、時間そのものも量子となるのか。
viii
世界がもし離散的であるなら、言語のモデルとして球を考えるのは、王道だ。しかしもはや球にこだわることもない。ゆがんだ図形
でも、張り合わせた継ぎはぎの図形でもいい。モデルは、整合的であれば自由にとれる。カントールはほんとうにいいことを言った、
数学は自由だ、と。
疲れたときは雑誌を拾い読みした。或る日、最新号の後ろにあるバックナンバーを見ていたら、西島和彦の文があった。西島・ゲル
マンの法則で知られる彼の死が報じられたのはしばらく前ではなかったか。時間があっという間に過ぎて行く。ひとつの時代が終わる
それならばこの文はほとんど彼の遺作に近いのか。
西島は言う、ディラックはシュレディンガー方程式に多数の時間変数を入れて自由な電磁場を導き、朝永はさらに電子場に自由を与
えて、そこに空間内に独立する時間変数を入れて座標系に依存しない方程式を導き、超多時間理論を築いた、と。西島はさらに進めて
ディラックによれば、未来の超曲面C2のベクトルが現在と未来の二つの超曲面C1とC2とに依存し、そこに働く関数がC1からC2
までを積分することで与えられる、と記していた。
すなわち或る状態を閉ざされた時間で積分すると、未来のひとつの時間が確定し表記される。これは、漢字の図形に対して、内在す
る閉ざされた時間を設定すると、ひとつの意味が確定することと近似する。ディラックの理論は言語へと延伸できる。言語は物理で表
記できる。Iに話したことそのものではないか。
Aは去年の春に行った新しい美術館でのモディリアニ展のことをおもいだす。
そのすこし前、館内の椅子のことが新聞に載ったことがあって、二人の話題になった。
―新しい美術館には高価な椅子が置かれているらしいね。
ライナーの「山嶺」の店の窓に、早春の木立が見えていた。
―どんな椅子なの?
―わからないけど、そこにすわると、自然にやさしいおもいになるとか。
―そうなの?
―そんなふうになるといいかな。
彼はなかばそんなふうにねがっていた。
―でもほんとうにそうなるといいわね。
もう少しで暖かい春が来る、そんな一日だった。
モディリアニ展には、S駅で落ち合い、都市線からはすこし離れていたので地下鉄で行った。彼は地下鉄が好きだった。
―なんだかこわいくらいね。
S駅でエレベータがゆっくりと深く降りて行くと、Iはあまり乗りたくなさそうな顔をした。Iにはそんなところがあった。
地上に出ると春の光がまぶしかった。
展示はすばらしいものだった。
今おもえば、モディリアニという存在は、普遍的な言語を表記するひとつの予感だったのか。彼の画を見ていると、深い安堵に満た
された。岡が言っていた発見がもたらす全身的な深いよろこびに似たものが、たぶんモディリアニを見るAの中にも生まれていた。
12
版画に端を発した言語への問いは、一度は判断中止に追いやっていた彼の中の普遍への関心を、いっきに眼前にばらまくような結果
になった。時間がその中心にあり、それに付随して祈りの問題があり、それらの果てにすべてを意味として 包含する言語の問題があっ
た。
むかしAが話した内容について、友人からそうなるともう哲学だからと答えられて、話がそこで終焉したことがあった。言い換えれ
ば、妄想なら自由にできるだろう、そういうことだった。しかし今またそう言われたとしても、そういう場面にまた出会うことは少な
いかもしれないが、Aはもうまったく気にならなくなっていた。
A を励ますことばがあった。無文字社会を、あるいは現代の隔絶した地域に存在する伝達機能の生成と消滅を追い続ける川田順造 が、
パリでの若き日に公開審査で言ったことばだった。「道は遠い、だがまだ日は暮れていない」と。
モディリアニ展のあとのことだった。
春の嵐のような風が、早めに出てIを待っていた美術館の前庭のまだ植栽したばかりの細い木々の枝を、ときどきひどく揺らしてい
た。
館内の高価な椅子にもすわってきた。確かにすわりやすかったが、ふつうの椅子でも充分かなとおもったら、急に外の風を感じたく
なった。
―ごめんなさい、おそくなって。
Iの短かい髪も風に揺れる。
―いいよ、ぼくはいつも早いんだから。
―よかったわね。それで椅子にはすわったの?
たのしそうに問いかける。
―すわった、それほど高価な感じはしなかった。やっぱり、椅子は椅子だね。
―わたしもすわったわ。たしかにそんな感じね。
新しい美術館に来る前の、たのしい期待だった。
風がときどき強くなる。
―目録は買った?
―どうしようかなとおもったけど、そのまま出てきた。
モディリアニは生きる勇気を与えてくれる。おまえはそのままそこにいればいい。おまえが見たいものを見ていればいい。
―買ってくる?わたしもすこし見たい気がするし。
―それはうれしいけど。
Iはもう一度、ガラス張りの入口の方へ戻っていった。
向こうに見える庭園風の植栽も風に揺れている。恋人同士がそこを歩いている。
しばらくすると、Iが白い袋を手にして、ふたたび前庭に、風の中に返ってきた。
―絵はがきも一枚買ってきた。
―どんな絵?
ix
―どんな絵だとおもう?
―わかんないな。
―ジャンヌ・エピュテルヌのデッサン、あごに手をあてているの。
―油絵よりもすごいくらいだね。
モディリアニのデッサンはすばらしい。世界がそこで切り取られるかのようだ。
―前に見たモネとどっちがよかった?
―モネもよかったけど、ぼくはモディリアニかな。
―ふーん、どうして?
―何を見たんだろうね、何かを見たから、どこまでも肖像を描いた。
―何を見たの?
―わからない。
―わたしは両方ともよかったわ。モネはモネで。
―晩年の庭がよかった。あの花々のアーチをくぐり抜けていく道。
―みどり濃い木立の中にいろんな花があったわね。すこし歩いてみない?風が気持ちいいから。
Iの春らしい服が風を受けている。
まるで恋人みたいだ。
13
ヒヨドリは元気になった。その野性は元気になった分よけいけたたましくなった。結局みかんしか食べなかった。柿もりんごもせっ
かく見つけてきた搔き餌も食べないで、みかんだけで元気になった。若いだけに回復しだすと早い。鳥かごに飛びつき、ぴょんぴょん
ぴょんぴょん動き回る。
今日はもうどうしても放しにいかないといけない。郊外線に乗ってO駅の向こうで放そう。あの辺の林なら、万一また弱っても、な
んとか生き延びられるだろう。都市にはからだをいやす隠れ家としての自然がない。当然といえば当然だが、あらためて自分が人工の
中だけで生きているのを感じる。ここでは弱った鳥は生きていけない。たぶん人間もそうなのかもしれない。鳥を林に放そう。
郊外線のアルミの銀白色と青緑のラインが真新しい車両に乗ると、ひさしぶりだなとなつかしくなる。Kと一緒に勤めていたころは 、
しばしば乗った。そのころは全体が鈍い色の緑の車両ばかりだった。
O駅を過ぎるころ、窓外に注意していた。R荘は以前のままだった。さらに古びて、すこしかたむくようにして、さわやかな秋空に
暗いモルタルと排気煙突がすべるようにながれていった。Kはどうしているだろう。版画のことがあってから一度、最後にもらったは
がきの住所宛に手紙を書いてみた。もしかして届けばとおもったが、しばらくすると宛先不明で返送されてきた。
郊外線の車窓に遠く丘陵が見えてきた。Aのふるさとの丘陵とは違う。しかし共通しているなにか、そこに来れば安心できるなにか
がある。人は本来そうした景色に守られて生きるのだ。都市の中ではあまりにも裸のままだ。疲れたら木々の中で休めばいい。冬の風
は高く木立の上を行くだけだ。林の中は静かで暖かい。ヒヨドリよ、おまえもそこで生きるがいい。そこがおまえのふるさとになる。
ああ、なぜ気づかなかったのだろう。Kのふるさとは川のあるU市だった。そこで旧盆のころに大きな花火が上がる。精霊を送り、
生者の安穏を祈る。一度そのことを話してくれた。Kはそれを描いたのだろうか。
馬致遠は杭州で遠くにぎわう大都をおもう。元曲「秋思」はうたう。
枯藤の老樹、鴉を昏くし
小橋に水流る、人家のほとり
古道の西風、痩馬ありて
夕べの陽は西に下ちる
断腸す、人の天涯に在ることを
窓辺に遠く低くなだらかな丘陵が見えている。
ホームに人はいなかった。ヒヨドリと一緒に改札口を出ると、霜枯れた畑がひろがり、一本の道が彼方の丘陵へと続いていた。
秋の早い残光の中に綿虫が白く舞っていた。
14
丘の上の図書館からは町が一望できる。三階の東側のフロアがコンピュータ室になっている。そこではインターネットが常時つな
がっていて、どのテーブルでも自由に使えた。休日はその窓寄りの場所で過ごすことが多くなった。窓の左側、北東に、高い青緑の建
物群がそびえている。高台のここから見ると一段と高い。そこだけが空を突き上げるようにそびえている。そのすぐ南に、Aの住まい
もあるはずだ。ヒヨドリはああした高い建物にぶつかったのだろうか。ガラスの壁が遠く鈍く秋の午後の光を反射していた。
鳥のいなくなった部屋を久しぶりに掃除していたら、隅に幾つか、ヒヨドリの産毛が落ちていた。やわらかい羽は、放せばしばらく
は中空に漂った。そんな幼さでもう都市の中で生きていたのか。いまは丘陵の木立の中でゆっくりと休んでいることを願った。
Aは Web ページをはじめ Dreamweaver で作っていたが、次第にその量が大きくなってきたので途中から Expression Web に変えた。
文書もはじめは Office を使っていたが、まもなく Zoho に変えた。こうしてこまかな数式を LaTex を使って素早く表記することができ
るようになった。Backup を SugarSync を使って自動的に行なうと、A のすべての痕跡は Cloud 上にあることになった。
文書は英語で書いた。数式以外の通常の文は、限られた語彙で比較的容易に書くことができる。これならばどこかで だれかが見てく
れる可能性がある。淡い期待をしたが、反響はほとんどなかった。それは当然といえば当然だが、この広い世界で一人や二人、自分に
共感してくれるものがいてもいいのにとおもったが、それも途中からはほとんど気にならなくなった。私はただ書き続ければいい。ア
メリカン・インディアンの諸語を採録し続けたジョン・ピーポディ・ハリントンのような人がどこかにいないとは限らない。1920
年ごろのフィールド調査をしているスミソニアン協会所蔵の写真は、どこか西部の開拓者に似ている。この 都市の片すみで、ひっそり
と未来のハリントンを待つのも悪くはない。
時間を含む言語をモデルを使って可能態として考えるのは、たのしい作業だった。しかし実際には、独創的なものなど,めったに作
成できるものではない。ありきたりの発想を超えられなかった。
彼はすこしずつ作業の手順を整えていった。最初に簡潔なモデルをつくる。そのモデルにふさわしい図形を選択する。その図形を幾
何で表記する。その幾何は深谷賢治に従って、「群とそれが作用する空間の組」とした。根本的なことを簡潔に確認し展望することが
x
できるのが深谷の魅力だった。
ヤーコブソンの「意味最小体」semantic minimum を参考にして、幾何的な「意味の最小単位」meaning minimum を新しく設定し、
閉区間 closed interval で時間 t を動かすことによって、時間をひとつの意味として内包する幾何的な語 word を定義した。こうした方
向を異なる幾何のレベルで、幾度も繰り返した。
言語の普遍性は数学の不変量 invariant に深く関連するようおもわれた。深谷の本で、グロモフ‐ウィッテン不変量 Gromov-Witten
invariant から量子コホモロジー環 quantum cohomology ring が得られ、さらにグロモフ‐ウィッテンポテンシャル Gromov-Witten
potential が得られることを知った。言語は数学と物理に接近していった。むかしから気になっていた対称性も論理的に点検できるよ
うになった。或る仮定のもとで、たとえば或るひとつの図形、多様体から、様々な言語の性格がモデルとして点検できるようになった 。
その中心のひとつにコンツェヴィッチが提起したホモロジー的ミラー対称性 homological mirror symmetry があった。
図書館での作業に疲れると、屋上に出た。暗いにび色の秋空の下に広がる都市は人間の営みの壮大さを伝えてい た。遠い都市の音が
こだまのように響いてくる。鳥が空を翔けるように、人はこの都市を翔けているのだろうか。ときおり鳥が高い建物群の青緑色のガラ
スに衝突して地上に墜落するように、人も地上で衝突してどこかに墜落するのだろうか。
かつて章炳麟の文始という本で、鳥に関する記載を読んだことがあった。「漢書宣帝紀、元康三年の詔に曰く、五色の鳥、万数を以
て属県を飛過す」。五色の鳥が一万羽も空を飛んでいったことがあったらしい。
文始はさらに漢書の引用を続ける。
神爵三年の詔に曰く、正月乙丑、鳳皇、甘露を京師に降集し、群鳥従うに万数を以てす、是の漢書の所見は実然たり
鳳凰が都に甘露を降り注ぎ、それを求めて一万の鳥が集まった、この漢書の記事は事実である、という内容だ。
章炳麟がこれらの記載を信じたかどうか、それはわからない。しかし章炳麟の癖からすれば、自然なこととして信じていたかもしれ
ない。
図書館の屋上の回遊式の庭園に、秋の花々が乱舞していた。白い秋明菊、黄色い丸菊、野紺菊。地味なホトトギスと地に這う白くこ
まかいアリッサムの花。空色のサルビア、赤いチェリーセージ、紫のローズマリーと淡青のバヂル。濃い青のセントポーリア、白いサ
フィニア、深紅のゼラニウムの鉢とハンギング。ヒューケラ、ドラシナコンセンナ、サンセベリアの観葉植物。スパッティも緑が濃く
ウメモドキがもう赤く実を色づかせている。つぼみをふっくらと膨らませ始めたさまざまなサザンカ、風にそよぐ最後のコスモスの花
かなり背を高くしてきたウインタークレマチス、残り少ない葡萄棚の大きな葉、そしてときおり吹く強い風に揺れる赤や白の大輪のバ
ラ。よく見ると季節をたがえた淡紅のボケの花も見える。シャラが美しく紅葉し、ハナミズキはその葉を褐色に変えている。そのかた
わらではシャクナゲが、つぼみをすでにかなり膨らませていた。
秋がしだいに深まっていた。
風に乗って都市線の音が聞こえてくる。Kはどうしているか。そうだ、文書に献辞をつけよう。For familiar days with K。
家に戻っても文書を書き続けた。時間を含む言語空間は、直線から平面へ、そこから球面へとすこしずつ拡張していった。ロ
ジャー・ペンローズの仕事に惹かれて、射影的なモデルを作ってみた。深夜そのことを考えていたとき、言語がオーロラのように天空
を舞ったら美しいだろうとおもった。
実数全体を直線に対応させたように、複素数全体を平面に対応させると、複素平面ができる。二つの実数で確定する複素数を言語単
位としてその平面上に置き、それを言語点と呼ぶ。その平面の原点から垂直な第三の座標軸を立て、原点を中心とした単位半径をもつ
球面を作る。球面は新しい座標軸の半径1の点で交わる。その点と複素平面上の言語点とを直線で結ぶと、言語点が1以上の距離を持
つとき、球面と一点で交わる。距離が1以下のときは言語点は球の内部に入り、球面と交わらない。言語の限界をこれで示す。
通常の言語点は距離が1を超えると球面の天空に射影される。その射影をオーロラと呼ぶ。無限遠の言語点はZ軸上の球面に収束す
る。無限の言語を有限上に取り込める。複素平面上の二点を結んだ直線は球面天空に弧を描く。平面状の二直線は天空で二つの弧とな
り、四点を結べば、いびつな四辺形が天空に浮かぶ。ここで天空の点を語、弧を文、四辺形を文章とモデル化すれば、そこに言語が浮
かび上がる。言語はオーロラとなって天空に舞う。
Language is aurora dancing above us. そう記してKにささげた。
15
久しぶりの日だまりの昼休みに、壁にもたれるSの横にすわった。
― ヒヨドリを丘陵に放してきました。
ヒヨドリのことはしばらく前に伝えてある。
―それはよかった。感謝されるよ。
―そんなこともないでしょうが、とにかくほっとしました。
―おれは鳥は飼ったことはないけど、鳥は頭がいいからな。
―そうですか。
―そうさ。おれのふるさとじゃ、鳥は忘れないと言っていた。そうして恩返しをしてくれる。
―鶴の恩返しですか。
―それと同じかどうか、とにかく林の奥には鳥の王国があるらしい。見たことはないけど、見えないだろうな人間には、とにかくある
らしいよ。
―ほんとですか、それ。
―ほんとうだ、そこに行き着くと、人は幸せになる。そういうことわざがあるんだ、フランスだったかな。
Aは話を聞いているうちに、Sはそこに行き着いたのではないかとおもった。もしそうならば、Sと話しているといつもやすらかな
おもいになることもわかる。
―話はかわるけど、オーロラ理論はたのしいね。
―えっ?見てくれたんですか。
休みのときの話が出たとき、最近は Web 上で文書を書いていますと言ったことがあった。Kに贈った Aurora Theory。
―なぜ時間は早く感じたり、おそく感じたりするのかっていう文があったろ?
―Why Human Time Flows Fast and Slow on Occasion.
―そう、それだ。あれがいちばんおもしろかった。
―ありがとうございます。まさか読んでくださってるとはおもいませんでした。
―ガウス平面からリーマン球面に射影するだろう、そこにオーロラのように言語が生まれる。球の中心すなわち座標の原点から光のよ
xi
うな素子が飛び立つ。なんて言ったっけ?
―Dictoron。
―あれはなに?
―かってに名まえをつけて、定義がすこし甘いんですが、言語認識素子。
―そう、それがリーマン球面まで到達する。速度は一応光のフォトンと同じだったね、すべての認識素子は同一時間で球面に達する。
そして球面を人間の認識領域だとすると、その領域上の言語をすべて同一の時間で言語認識素子は認識する。物理的な時間は同じだ。
ところが球面上の言語間の距離をその弧として捉えると、そこには当然さまざまな距離が生じている。その距離を言語認識素子の速度
で割ると、弧の長さに応じて、時間に長短が生じる。物理的な認識時間は同一でも言語領域上の弧の認識時間に長短が生じるというわ
けだったね。
―そのとおりです。
―表題のところにあの文書だけ Interlude ってついてたけど、あれはなに?
―間奏曲という意味で、すこし遊んでもいいかなっておもって。モデルだから、作ろうとおもえばどんなふうにも作れるんです。
―でも多少はヒントがあったんだろ?
―認識素子の想定は物理のダヴィッド・フィンケルシュタインを真似てみました。フォトンと同一速度なんていうのもそのためです。
リーマン球面を人間の認識領域に設定して、そこに距離の概念を介在させると、時間の絶対認識と相対認識がきれいに相違するという
ことは自分で思いつきました。そのころ意味における距離の関与について考えていましたから。
―簡潔でいいモデルだけど、しかしあの射影をそのままでさらに発展させることはむずかしいんじゃない?
―そうなんです、今は関数全体の集合から空間を定義するという最近の考え方が自然におもわれます。中島啓が提出した、母関数の類
似を幾何学的に考える母空間なんてなんとも魅力的です。それをフォローした牛腸徹が、非線形偏微分方程式の解全体として理解され
るモジュライ空間の解の個数で作られる母関数が密接に関係し合っている状態は、限りなく量子論的だと言っています。またその前提
として牛腸は、母空間上の関数空間を考えてそこからベクトル空間上の対称テンソル空間を定義し、元のベクトル空間をその双対空間
上の対称テンソル空間と同一視すると、母空間上の関数空間がその対称テンソル空間とまた同一視でき、結局、場の空間における粒子
の生成と消滅が記述できるというのです。
―つまり粒子の生成と消滅が数学的な根拠を持つというのだね。
―そうです。
Sから数学のことを聴くのはこれが初めてだった。
―図書館に行くと必要なものはだいたいそろっていて、そこで読んだ雑誌に書いてありました。歩いても二十分くらいで行けるので助
かります。丘の上で展望もいいんです。屋上には花も咲いていますし。
―数学に花と鳥か。いい話だなあ、ありがとう。
16
日曜日の朝、電話で眼を覚ました。Iからだった。
―どうしたの、昨日来なかった?
―悪かった、ずっと眠ってたから。きのう少し熱があって、仕事の帰りに熱さましを買ってきて飲んだら、そのまま今朝まで眠ってし
まった。幾晩か夜が遅かったから疲れが溜まってたのかもしれない。
―何回か電話したけど、出なかったからどうしたのかとおもって。今はどうなの?
―よく寝たけど、まだ熱があるみたいだ。
―大丈夫?
―今日は一日ゆっくりする。すこし根をつめすぎた。
―あまり無理はしないで、もう徹夜とかは無理よ。
―そんなことはしないけど、弱くなった。心配かけて、また連絡する。
まだ話したそうなIに対して、電話を切った。体がだるい。
窓の外に眼をやると、寒そうな電車通りを霧がうすくながれている。こんな日は休みでよかった。
昨日の午後からものを食べていないが、動かないせいか、それほどの空腹は感じない。のどが渇いたので、起きて牛乳を飲んだ。す
こし体がふらふらするが、もう眠る気はしないので、ソファに横になって、休むことにした。明日はどうするか、たいして休暇も取っ
てないので、休むかどうか。夕方までの体調を見て考えようとおもった。
文書にKへの献辞をつけて載せたが、Web ページの About に自分の連絡先は載せていないから、もしKが見ても直接に連絡が来る
ことはない。ただ、かつての友情をそこで確認してくれるかもしれない。さらにKの名まえで検索をかければ、Aのこの文書がヒット
するから、Kでなくてもその周囲のものが、もしかしたらKのことを検索することでAの文書と出会うかもしれない。そんなふうにも
おもった。第一、まさかとおもった同僚のSが文書を読んでいてくれた。
体がだるいので、ソファのふちに頭を乗せて、することもないまま、懸案の祈りの続きを考えていた。
Aは祈りのモデルとして鏡の世界を想定していた。実際の手が鏡に映る。奥行きもある。動かせば一緒に動く。しかし実態はない。
そして左右が反対になる。というより右手は右手なのだが、鏡の中では左手側として構造化される。上下関係はそのままだ。朝永振一
郎が描いた鏡の中の世界だ。それはよく言われることだが、これだけではそれ以上には進まない。
鏡の手前に実在の幸福がある。鏡の中にその幸福が映る。それは実在しない。手前の実在の幸福を取り外せば、鏡の中の幸福も消え
る。今鏡の中に実在しない幸福があって、鑑の手前に実在の幸福がない状態を想定する。そういう状態をモデル化できないか。そんな
ことを彼はしばらく前から考えていた。
虚数を使えばどうだろう。リーマン球面の座標に時間座標を加えて、それに負の記号をつければ、ミンコフスキー空間になる。時間
座標を空間座標と同じ正にとれば、次元に関してシンメトリカルな四次元球面ができる。これはホーキングが宇宙の生成に関して虚時
間を導入した発想だ。ホーキングの宇宙の始まりは、だからその底面が球になっている。
言語に対称性は入れられないのか。そうすれば面対称で鏡の世界ができる。そして鏡の中だけに言語があるようにすれば、それを祈
りのモデルとすることができる。そんな道筋を考えた。
実数に対して虚数があるように、実言語に対して虚言語がある。祈りは虚言語で書かれているとする。実言語の中に内在する時間を
想定したように、虚言語にも内在する時間を想定する。天国に行くことは、虚言語の中で内在する時間を移動することになる。その言
語をミラー言語 mirror language と呼ぶことにする。それならば、その mirror はどこに置かれるのだろうか。
xii
図書館でもっともよく読んだのは、深谷賢治だった。円はやはり x
2 + y2 = 1 で認識するより、丸い図形のイメージで認識するのが
自然におもわれると書いてあった。幾何学の直感性はたしかにすばらしく普遍的だ。
深谷の本を読んでいくと、ミラー対称性 mirror symmetry が出てくる。ホッジ・ダイアモンドと呼ぶものを或る値のところに設定
し、そこで折り返すときれいなミラー対称性を得ると記されていた。Aが考える mirror language もそこで可能かもしれない。
対称性。それはかつて言語学のCと繰り返し話した内容だ。1920年代のプラハ。雑誌 TCLP に載ったカルツェフスキイの論文、
「言語記号の非対称的二重性」。言語が保持し続けるところの、それによって言語が言語であり続けるところの、絶対的に矛盾する柔
構造と硬構造の共存。言語において二重に内在し続けるだろう永遠の矛盾。言語がかくも柔軟でかくも堅固でいられるのはなぜか、そ
のほとんど絶対的に矛盾するかともおもわれる二重性をカルツェフスキイは提示した。Cがその最後の本の中でただ一人天才と称した
言語学者、セルゲイ・カルツェフスキイが残した白眉の論考。
なぜこの共存が可能なのか、この二重性に対する整合的な理解は今もなお、たぶん提出されていない。
これに比して世界の量子化 quantization については着実な進展があった。
深谷によれば、コンツェヴィッチは1997年の論文で形式性予想を提示し、2003年の論文に至って、みずからその予想を証明
した。「ポアッソン多様体の変形量子化」。深谷は彼の本の中でその証明の概略をnRの場合に限って述べている。証明の全容は計り
知れない。量子による空間、それももう夢ではないかもしれない。
その果てにある、有限と無限。無限を有限に閉じ込めること。
ヤーノシュ・コラールと森重文は伝える。三次元標準フロップの任意の列は有限である、と。今フロップを一種の写像と考え、意味
を有限の列と仮定し、立体と時間で作られたこの四次元世界を平面と時間で作られた三次元世界に射影すれば、無限に生起するとおも
われた四次元世界の出来事のすべてが、三次元の有限の世界に閉じこめられることになる。 そこでは、時間を含む意味を体現した平面
上の文字が、この私たちの時間を含む4次元世界を射影し閉じ込めたものとなる。
―それで私はどうするのか。
立って東の窓を見ると、外はこごえるような空の下に、行く人もまばらだ。さっきより一段と濃くなった厚い霧の中を、ライトを点
けた路面電車が音もなく過ぎて行く。街灯が一斉にあかりを灯している。
遠く忘れられていた祝祭がはじまる。
台所にかけられた版画から、冷えきった暗い室内に向かって、光の帯が音もなくのぼり、大輪の花火がゆらめきを残してつぎつぎに
開花してゆく。花火はガラスに映り、やがてガラスを超えて霧がながれる街路の上へとひろがってゆく。
暗く霧におおわれた空一杯に、今、花火が大きく開き、その下方を乗客も絶えた路面電車が音もなく過ぎて行く。
―なぜこんなにさびしいのか。
ガルシン。ロシアの帝政末期を光芒のように生きて逝った魂。
「赤い花」は必死に、どうでもよい一輪の赤い花をもとめて、遂にそれを得る。
フセヴォロド・ミハイロヴィッチ・ガルシン、ああ、あなたの名まえの中にもミハイルがいる。
天使ミカエルが起ちあがる。旧約聖書ダニエル書終章のことば。
汝終りに進み行け、汝は安息に入り、日の終りに至り、起て汝の分を享ん。
暗い室内にあかりを灯す。ヒヨドリが私に与えてくれた生きるというあかり。
どうしようか。すこしものを食べないといけない。ありあわせでごはんを食べようか。パンはたしかきのうの朝、みんな食べてし
まった。あとなにが残っていただろう。
染み入ってくるような寒さの中で、ソファの脇のカーディガンに手を通す。ヒヨドリよ、おまえも丘陵で暖かにしているか。
ふりかえると版画は、すべての流動を終えて、もとのしずけさに返っていた。
窓の外はいつか霙になった。
ドアが小さくノックされる。
立て付けのわるいドアを開くと、白いビニールバッグを重そうに持って、片手にフランスパン の包みを抱えて、Iが不安そうに立っ
ていた。
その短い髪に、霙が淡く光っていた。
17
―この間はありがとう。ほんとうに助かった。
S駅の地下道から地上に出ると日ざしがまぶしい。待っていたIにお礼を言った。
―どうしようと思ったんだけど、思いきって、行ってよかった。もしかして迷惑だった?
Iが、きらめく光を通す木立を背にしてたずねる。
―そんなことない。言い方がいつもたりなくて。ほんとうに感謝している。
広場の向こうを、車が重なるようにゆっくりと過ぎて行く。
―もう大丈夫なの?
―すっかりよくなった。きみのおかげだ。
―そんなことないわ。
Iがうれしそうに言う。広場の二人に木漏れ日が揺れている。
たえまなく行き交う広場の無数の人々の中で、Iはたったひとりの人に伝える。
―もし元気だったら、新しくできたJ書店に行ってみない?
信号が変わって、人波がいっせいに動きだす。
―今日はほんとうはきみにお礼をするんだった。べつになにもできないけれど。
―それはいいの、わたしが自分でしたかっただけ。
Iがほほえみながら応える。
―じゃ、先に本屋に行って、それからでもいい?
―ええ、私も新しいところを見てみたいわ。
歩き出すと、歩道は、肩が触れ合うくらいに人出が多い。
―すごいね。ますます多くなる。
押されるようにして、Iは彼の腕を抱く。
xiii
―だれかが言ってたわ、この街には過去も未来もなんでもあるって。
―ほんとにそういう感じだ。
信号を待ちながら、Aは彼女に伝える。
―ここのところでね、むかしカフスボタンを買った、たぶんこの位置のはずだ。小さい店で、今みたいに信号を待っていたら眼にと
まったんだ。
雑踏で声がかき消されるくらいだ。
―翡翠のカフス、ほとんど使わないのに。
―あなたはいつもそう。
それが I の告白だった。
愛する人。
―貧しくて、不遜だった。
本の重さでかたむいたカバン。中心のない、なにも見えなかった日々。
―そんなことない。
信号が変わる。
―むかしね。谷山豊って人がいたんだ。
A は声を大きくして言った。
―若くして亡くなった。婚約者もたしかまもなく亡くなった。彼とその友人が作った予想が、フェルマー予想を解くかぎになった。ワ
イルズという人が解いてもう十年以上になる。それで谷山の特集が雑誌に載ったことがあった。
Iはただ彼を見ている。
―そのときね、この街だった、すごくうらやましいとおもった。雑誌は買わなかったけど、買ってもしかたがないような気がした。自
分にはそのときなにもなかったから。ただ、そんなふうに生きてみたい、死ぬことじゃないよ、一度生きるならそんなふうに生きたい
とほんとうにおもった。それがたぶん自分には一生できないとわかっていたから。それが、いまは谷山のように生きている。彼のよう
にすごくもなんともないけど。おもいはまったく同じなんだ。
―すごいわね、ほんとうに。そんなにおもえるなんて。
―きみを愛したから。
彼女の肩を強く抱く。
新しい書店が見えてきた。
二人に今、恩寵のように冬が来る。
xiv

No comments:

Post a Comment