フランスの語学と文学、そしてその底に沈む信仰。私の20代を魅了し続けたヨーロ
ッパの近代。書くことecriture の方法と言語そのものの未知。華埜井先生の存在は、そ
の
いずれにも深く係わっていたように今はおもわれる。私自身がそのころ、何ものをも持
たなかったがゆえに、先生の静かで端正な姿から、一つの確立を、私には多分、年を経
ても決してそのようにはなれないことを感じながらも、以後深い追憶として、存し続け
たのではなかったか。
古希を過ぎ、今夏6月で74歳となる私にとって、華埜井先生は変わることなく、つねに
若く、端正であった。人はときに、一見間接的であるように思われながら、深い意味を
帯びた追憶をもつことがあることを、この論考によって少しでも伝えることができるな
らば、1966年にフランス文化使節として来日し、幸運にもそのテレビ放送を視聴でき
たフランスの哲学者ガブリエル・マルセル Gabriel Marcel 1889-1973 が1961年にハー
バード大学で行った講演「人間の尊厳」で、「本質的な問いは、自分の生涯が、見慣れ
た風景のように背後に展開され、しばしば模索したり、偶然に左右されたりした過去の
道程を回想できるようになったときに、個人的な形で、一人称でのみ初めて提出されう
るものだといえると思います。」と述べているように、私は私の提出した問いに、答え
ることができたのでしょうか。
東京
2021年3月20日
田中章男
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