Thursday, 29 March 2018

Papa Wonderful 28 Days

Papa Wonderful
28 Days

28 時代
 時代の変化をその只中で知ることはむずかしいことだと、半世紀を生きてきた田所さんはいくつかの実感をともなって思わずにはいられません。人がちょうど雲の中を歩むときに、その下か上かならば苦もなくわかるに、中にいる人はそこに雲が存在することに気づきにくいのと同じです。 
 田所さんがコンピュータの基礎を学び始めたころ、一つのことに気づいてしばらくの間は茫然としてしまいました。それはコンピュータ言語を含む多くのソフト群が、どうやらアメリカにおいて1960年代から1970年代にかけて、陸続と生まれていたらしいということに気づいたときでした。1960年代末といえば時代が騒然としていたときで、田所さんの大学時代のことです。それを言い訳にすることはできませんが、田所さんは大学でほとんど勉強をしませんでした。ですから彼は三十代でもう一度大学に戻ることにしたのです。他の国々の若い人々もまた全体に騒然としていたと思いこみたいところですが、社会が騒然としていたこととその中で個人がどのように生きていたかということとは、当然のことですが直接的にはつながっていないのです。臆病な田所さんが自己に対する厳しい決断をすることもなく大学や市街でうろうろしていたころ、アメリカ合衆国の決して少なくない若い一群が、時代の波に飲みこまれることなく、ひたすら研究に努めていたらしいことを、田所さんは、コンピュータ技術の進展を跡づけるいくつかのアメリカのエッセイを読んで知ったとき、ほとんど悔恨に近い思いを抱くようになっていました。なぜなら田所さんの1960年代末についての主観的でパセティックな時代認識は、それから二十年近いのちになって、すなわちコンピュータが社会の表面に出てきたときになって初めて、井の中の蛙的な小さな放浪に過ぎなかったのではないかと思えるようになっていたからです。
 その悔恨の中心に何があったかは、今やもうはっきりしていました。60年代末に一人の若者であった田所さんは、自らが今何をなすべきかを全くといってよいほど知らなかったのです。基礎的な高校での勉強と相応の受験準備のあと、大学に入って一挙に広がった知的社会に直面したときも、当時の田所さんには自らの判断で歩むことは困難でした。ニュースや新聞や、そのころはまだ色あせなかった知識人という一群の人々のたぶん誰かのうしろについて、田所さんは自らの知的世界を形成していたのです。当時の田所さんにとってはそれが精一杯であったのかもしれません。そこまでは仮に認めることにしましょう。でもそのあとが悪過ぎました。田所さんは二十代前半で形成した価値を、後生大事にそれがあたかも自分の純粋さの証明であるかのように持ち続けてきたのです。根本的な批判や懐疑を自らに向けることはしなかったのです。三十代に聴講生になったときにもやはりそうでした。ふたたび大学で、今度はまさしく自らの意思で歴史や哲学や語学を学び始めたと思っていたにもかかわらずです。
 ひとことで要約するならば、田所さんの1960年代末はアメリカ映画の「いちご白書」の時代だったのです。一人一人がどんなに片隅にいても、充分にヒロイックでした。なぜならば意識としてかかわったたぶんすべての人が、自己のためにではなく他存在のために行動していたからです。なにが他存在であったかは人によって異なっていたでしょう。とにかく自己のためにではなかったのです。それは一種清潔な不遜さであったがゆえに、田所さんの中でながく壊れにくく残ったのです。
 1980年初頭、田所さんの前には圧倒的な大きさで、アメリカのコンピュータ理念が存在していました。理念と言ったのは、それが技術だけでもなく、文化とも違う、学問とも違うものだったからです。それは何か巨大な複合物でした。その根本には、どのような権威にもよらない個の主張がありました。田所さんは、いくつかのコンピュータ雑誌を読みながら、牧場のゲイトウェイや納屋から生まれたコンピュータ製品とその基礎となっている種々の言語を含むソフトの集積に圧倒されていました。しかしこれもまた、新しい他者への依存なのだろうかと、田所さんのかすかな批判精神は問いました。しかしコンピュータにかかわるこの知的集積体は決して一朝にできるものではなく、またその継続はいかなる形でいかなる人たちによってなされていたのか。答えは明瞭でした。1960年代から、たぶん主に田所さんと同じ若者たちによって、途絶えることなく、またあの混沌とした「イチゴ白書」の世界を少しも否定することなく続けられてきたのです。混沌と矛盾があったことは事実でしょう。そのことを無視して、ただ混沌という現象だけを見てその時代を否定する人がいますが、その立場には田所さんは今もなお組みしません。ただその時代の生き方で補えることを考えるならば、そのとき否定だけではなく同時に、未来に向って時代を実り豊かに生きようとする方途もあったのです。この未来に向ってという観点が田所さんには決定的に欠落していました。この点で田所さんの時代的失敗は決定的でした。自らが未来に向ってどのように生きるかということを掘り下げて考えることなく、自己に直接責任のない過去否定に自らの主要なエネルギーを注いでいたことは、今となってはもはやどうすることもできないことですが、苦い悔恨を残さずにはおきませんでした。ボブ・ディランの「風に吹かれて」はその意味でも、実に時代象徴的な歌でした。感傷的に「風が知っているだけ」にしてしまってはいけなかったのです。別にディランが悪いわけではありません。ディランは一つの時代を歌いきりました。あとは田所さんがその中でどのように生きるかだったのですから。

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