Letter to H On old book shop street at Kanda, Tokyo 20 July 2021
25/07/2021 19:54
白山通りを行き来する都電の音、 古き良き面影を残した救世軍のビル、 内山書店の店主とその奥様等々、想い出は尽きません。
Dear H,
この度は迅速に、説文解字を郵送して下さり、 ありがとうございました。
私は1967年に東京外国語大学中国語科に入り、 その後和光大学で専攻科および研究生として過ごしました。
外語では、 岩波中国語辞典の顧問格でいらした中国語会話の陳東海先生、
大学書林から中国語辞典を刊行された鐘ヶ江信光先生、
白水社から中国語会話の定番となった本を刊行された長谷川寛先生 等の教えを受けました。
大学書林から中国語辞典を刊行された鐘ヶ江信光先生、
白水社から中国語会話の定番となった本を刊行された長谷川寛先生
特に陳先生が、 古き良き北京の面影を授業の折りに伝えてくださったことが、 懐かしいです。
京劇は舞台に向かって横になって聴くものですと、 楽しそうに述懐されておられました。
当初は、清朝の小学に心惹かれ、段玉裁、王年孫や王国維、 章柄麟等のきらめくような論考を少しずつ読んでおりましたが、
当初は、清朝の小学に心惹かれ、段玉裁、王年孫や王国維、
のち、言語学の千野栄一にロシア語を学んだことをきっかけに、 彼が留学したチェコの、プラハ言語学サークルの学績を教えられ、
特にSergej Karcevskijの業績にみずからの進むべき方向を感じて、
以後、Language Universals 言語の普遍性を、東洋の視点から学ぶこととなりました。
以後、Language Universals 言語の普遍性を、東洋の視点から学ぶこととなりました。
その彷徨のおり、幾度も神田に足を運び、海風・山本・内山・ 東方書店等とともに、燎原書店様で必要な本を集めました。
近年は、老境に至り、自宅からの注文が多くなりましたが、
H様との会話から、 懐かしい青春の神田がよみがえって参りました。
H様との会話から、
白山通りを行き来する都電の音、
特に燎原書店様とは旧店舗の2階で、当時一橋大学にいらした、 西順蔵先生が、講義をなさったことを聴いております。
先生は早く69歳でなくなられましたが、私は和光で、 その素晴らしい中国哲学の講義・演習を数年にわたって聴講し、
霧積温泉等へもご一緒しました。 先生の論考はお弟子さんによって、 内山書店から全4巻で刊行されたことで、 その業績を忍ぶことができますが、
私が聴いた、天の一字の概念が、 行文の位置によって大きく変わってしまう等の黒板への板書のその すごさは、今もはっきりと記憶しています。
霧積温泉等へもご一緒しました。
私が聴いた、天の一字の概念が、
先生は講義に新華字典一冊のみを持ってこられ、 講義内容は新聞挟み広告を小さく切ってその裏の白い所に、 メモされたもので、流れるように講義しました。私が取ったノートを読み返すと、まさしく著書そのもので、 ここでも深い感銘を受けました。
和光ではまた、 東大から移られた小野忍先生に親しく教えを受けました。 先生は確か74歳で亡くなられましたが、
その最晩年、演習で、元曲や詞のその困難さを、 若き学生たちに伝達なさろうとされていました。
それが、 先生の恩師であった塩谷温先生への多分追慕でもあったことを、 後年感じるようになりました。
それが、
竹内好等の中国文学研究会の、 細やかな歴史をもっともっとお聴きすればよかったと、 今になって感じております。
私自身は先生からのご教示による郁達夫の短編小説に心惹かれ、 20代頃はその一冊本の選集をよくカバンに入れていました。
以下に私の神田とのつながりを残す、 ささやかな小文を記載いたします。
お手隙の折りに、ご一読いただけましたら、幸甚に存じます。
貴店の向後の一層の御発展を祈ります。
謹具
謹具
20 July 2021
T. A.
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