2015 Story To Winter
2015
Story To Winter
2003年から書き続けてきたLanguage Universals 言語の普遍性に関するPaper 論考が、みずからの中で一段落したと感じた2012年冬、65歳となった私は、言語を公理と定理から導く、青春の日々から求め続けてきたものではあるが、ある点では非情な数学の世界そのものから一歩離れて、そこに生きる人間をあたたかく描いてみたいというおもいが強くなり、自伝的な要素を含んだ一つの青春の可能性を、ともに孤独ではあるが決して孤立してはいない二人として描いてみたくなった。
主人公の A も再会した I も、羽を痛めたヒヨドリも、みなある意味では作者そのものの分身であった。物語として完成しているかどうかは素人の私には判断できないが、私はこの物語を書きすすめるうちに、いつか、青春の日々にさまよう中での、救済とも呼ぶべきものを表現したいとおもうようになった。
人はみな生涯で、多くの人に出会い、おもいがけない支えを受け、不意の別れに接しながら、みずからの生の主題をいつかは見い出そうとする旅を続けてきたのだろう。私もまたその一人であった。
人は決して強いときばかりを続けることはできないだろう。だからそこでは、気づかないうちにどこかで救済とも呼ばれうる何かに出会うのではないだろうか。それは決して弱いからではなく、あるいは弱いから求めるのでもなく、生きることそのもののうちに、多分必然として、救済は見知らぬうちにもたらされるものとして、きっと存在していたのではなかったか。私はいつか自然にそんなふうにおもうようになっていた。
物語は、風に寒さをおもう秋の日々からはじまり、冬のおとずれを感じさせる二人の、光あふれる一日で終わる。
すべての人が、この日の二人であるかのようにと、私はねがう。
「二人に今、恩寵のように冬が来る。」
私はこの物語を、そう結んだ。
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