WHY HUMAN TIME FLOWS FAST AND SLOW ON OCCASION
15 Why Human Time Flows Fast and Slow on Occasion
時間の遅速
久しぶりの日だまりの昼休みに、壁にもたれるSの横にすわった。 ― ヒヨドリを丘陵に放してきました。 ヒヨドリのことはしばらく前に伝えてある。 ―それはよかった。感謝されるよ。 ―そんなこともないでしょうが、とにかくほっとしました。 ―おれは鳥は飼ったことはないけど、鳥は頭がいいからな。 ―そうですか。 ―そうさ。おれのふるさとじゃ、鳥は忘れないと言っていた。そうして恩返しをしてくれる。 ―鶴の恩返しですか。 ―それと同じかどうか、とにかく林の奥には鳥の王国があるらしい。見たことはないけど、見えないだろうな人間には、とにかくある らしいよ。 ―ほんとですか、それ。 ―ほんとうだ、そこに行き着くと、人は幸せになる。そういうことわざがあるんだ、フランスだったかな。 Aは話を聞いているうちに、Sはそこに行き着いたのではないかとおもった。もしそうならば、Sと話しているといつもやすらかな おもいになることもわかる。 ―話はかわるけど、オーロラ理論はたのしいね。 ―えっ?見てくれたんですか。 休みのときの話が出たとき、最近は Web 上で文書を書いていますと言ったことがあった。Kに贈った Aurora Theory。 ―なぜ時間は早く感じたり、おそく感じたりするのかっていう文があったろ? ―Why Human Time Flows Fast and Slow on Occasion. ―そう、それだ。あれがいちばんおもしろかった。 ―ありがとうございます。まさか読んでくださってるとはおもいませんでした。 ―ガウス平面からリーマン球面に射影するだろう、そこにオーロラのように言語が生まれる。球の中心すなわち座標の原点から光のよ xi うな素子が飛び立つ。なんて言ったっけ? ―Dictoron。 ―あれはなに? ―かってに名まえをつけて、定義がすこし甘いんですが、言語認識素子。 ―そう、それがリーマン球面まで到達する。速度は一応光のフォトンと同じだったね、すべての認識素子は同一時間で球面に達する。 そして球面を人間の認識領域だとすると、その領域上の言語をすべて同一の時間で言語認識素子は認識する。物理的な時間は同じだ。 ところが球面上の言語間の距離をその弧として捉えると、そこには当然さまざまな距離が生じている。その距離を言語認識素子の速度 で割ると、弧の長さに応じて、時間に長短が生じる。物理的な認識時間は同一でも言語領域上の弧の認識時間に長短が生じるというわ けだったね。 ―そのとおりです。 ―表題のところにあの文書だけ Interlude ってついてたけど、あれはなに? ―間奏曲という意味で、すこし遊んでもいいかなっておもって。モデルだから、作ろうとおもえばどんなふうにも作れるんです。 ―でも多少はヒントがあったんだろ? ―認識素子の想定は物理のダヴィッド・フィンケルシュタインを真似てみました。フォトンと同一速度なんていうのもそのためです。 リーマン球面を人間の認識領域に設定して、そこに距離の概念を介在させると、時間の絶対認識と相対認識がきれいに相違するという ことは自分で思いつきました。そのころ意味における距離の関与について考えていましたから。 ―簡潔でいいモデルだけど、しかしあの射影をそのままでさらに発展させることはむずかしいんじゃない? ―そうなんです、今は関数全体の集合から空間を定義するという最近の考え方が自然におもわれます。中島啓が提出した、母関数の類 似を幾何学的に考える母空間なんてなんとも魅力的です。それをフォローした牛腸徹が、非線形偏微分方程式の解全体として理解され るモジュライ空間の解の個数で作られる母関数が密接に関係し合っている状態は、限りなく量子論的だと言っています。またその前提 として牛腸は、母空間上の関数空間を考えてそこからベクトル空間上の対称テンソル空間を定義し、元のベクトル空間をその双対空間 上の対称テンソル空間と同一視すると、母空間上の関数空間がその対称テンソル空間とまた同一視でき、結局、場の空間における粒子 の生成と消滅が記述できるというのです。 ―つまり粒子の生成と消滅が数学的な根拠を持つというのだね。 ―そうです。 Sから数学のことを聴くのはこれが初めてだった。 ―図書館に行くと必要なものはだいたいそろっていて、そこで読んだ雑誌に書いてありました。歩いても二十分くらいで行けるので助 かります。丘の上で展望もいいんです。屋上には花も咲いていますし。 ―数学に花と鳥か。いい話だなあ、ありがとう。
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