Tuesday 9 January 2018

Letter to Y. Supplemental addition

Dear Y.,


「Twitterの数字だけで、客観性として扱うには信頼が薄いと自分は思っています。」
これはその通りだと私も思います。

私がtwitterの結果だけを示したのは、簡素化しすぎでした。
私は古くはWeebly で一般的な8Sites, それからやや遅れてWebnodeで専門的な7Sites, あとInvitational なWix で3Sites、Blogger でpaperとessayを1Site ずつなどの
それぞれのStatistics の結果を踏まえた判断です。ですからそれほど自己満足的ではないと思っています。それにもう自己満足するには年を取りすぎました。

ただ視覚言語的なものが重要になりつつあるということは、近代以降の言語学史でも、そんなにpopularではなかったのです。
言語はまず話し聞くことが原点である、という大前提の上に、Saussureなどが言語学を形成してきました。

文字学は中国では、近代に飛躍的に深化しますが、それは漢字という文字によるところが大です。
日本ももちろんその影響を漢字の移入も含めて保持し続けてきました。
欧米では言語学的には、文字学というような大きなものは少なく、一般的にはその下位に文字論として位置付けられてきました。
その文字論的なものとしては日本の河野六郎の研究が、まとまったものとしては多分最も大きいものの一つでしょう。先年亡くなられましたが、氏の基盤はやはり中国学、朝鮮学の上に成り立っていました。

私はやや別のルートを取りますが、大きく見れば、河野六郎などのの学的成果を受けて育ったとも言えます。
河野の論考で記憶に残るのは1970年代に岩波講座「哲学」の「言語」に載せたもので、この中で、氏は言語の形成をさかのぼって楔形文字のレベルに戻っても、その構成の根幹は中国の「六書」がほぼその根幹をなしているという感じを強く持つと述べていたことです。漢字の6種の構成法である「六書」における難問となっていた「転注」の役割を解決したのは氏の大きな業績でした。

言語の総量が飛躍的に増大した現代では、その保存性の卓越性によって文字言語の比率が急速に上昇してきたことは疑いないでしょう。
コンピュータが文字増大の状況をさらに大きくしてきました。

言語において話す聞くが原点であることは確かでしょうが、それが果たして言語の歴史的な本質をなすかは、また別問題とも考えられます。
歴史は文字によって増大し精密になりました。そして多分私たちはその先端にいることになります。

この状況の中で、言語を考えようとするのが、私の立ち位置となっています。
私が「超時代的」と言ったのは、この長いspanである歴史的なperspectiveの上で考えることが重要ということでした。

簡単ですが少し捕捉しました。

Cordially, 

8 January 2018
Akio

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