Monday, 27 April 2020

Resting Elbows Nearly Prayer By RI Ko 2007. 7 Rond


Resting Elbows Nearly Prayer By RI Ko 2007

7 Rond
7 輪舞
立山高校の校舎はくすんだクリーム色に塗られていて、かぎ型になった三階建て。その折れ曲がる部分だけ4階があり、そこに音楽室があった。田所は選択で音楽をとった。選択は音楽、美術、工芸の中からいずれかを選ぶ。これは田所はすぐに決定した。音楽、なぜなら何の用具もいらないからだ。最初にコーリューブンゲンを買わされた。声楽の音階練習だ。田所は音楽を聴くのは好きだ。しかし歌唱や演奏はそれほどでもない。ピアノは小学校のときから少し弾いた、中学校で器楽演奏のとき、田所はオルガンを弾いた。合唱のメンバーとして、歌った。しかしそれはそれだけのものだった。
高校に来て驚いたことのひとつは、音楽が本当にできる人たちが相当数いることだった。すばらしい声楽や、合唱の指揮、ピアノや弦楽器にいたるまで、どこでそんなことを習得したのかと思われた。田所が、笹木丘陵を歩きまわっていたころ、彼らは音楽に打ち込んでいたとしか思えない。そうでなかったら、そんなにうまくなるはずがない。
2年のときのクラスではフルートのうまい斉藤君がいた。これはもう聞きほれるしかない。放課後の床の汚れたごみの蓄積した教室に朗々としてフルートの音が響いた。声楽志望の古賀はまた別格だった。勉強はいつも苦労のしっぱなしだったが、芸術の才能は飛びぬけていた。2年のとき夏休み前、彼が教室で、すっとんきょうな声を上げた。「ああ、オレは仮進級に通ったぞ」。一年のとき、仮認定のまま2年になった科目が無事認められたというのだ。うれしそうだった。
田所は彼の家を一度たずねたことがあった。自宅を新築中で中には入らなかった。田所は彼に約束のロマン・ロランの本を持ってきてあげた。
美術にどんな才能の持ち主がいたかは知らない。田所は3年間ずっと音楽選択だった。だから音楽に秀でた人を見てもそれほどは驚かなくなった。
教室は1年が1階、2年が2階、3年が三階とだんだん上に行く。2年の秋、昼休みに2階の教室から、田所は窓の外を見ていた。真下は校舎のかぎの部分にあたり、中庭風になっていて、コンクリートになっている。そこにはむかし始業に使われたという鐘がつるされている。そこに2年の女子が2クラスほど集まっていた。別に授業というのでもなく、それが終わったか、午後が始まる前なのか、みな思い思いのままの姿勢でいた。ダンスかなにかの練習らしく、二人で組んで踊り始めているものもいる。見ると村木が、友人の諏訪さんと一緒に組んでいる。二人も踊りだした。どちらかというと村木が主で、諏訪さんが受けという感じだった。諏訪さんが高く手を上げた下で、村木が諏訪に手をのばし踊り始めた、舞踏会のシーンのように。中庭は、村木を中心にした輪舞のように見えた。重力がないかのようにかろやかに村木は踊った。クラブや委員会や会話で田所に見せる表情とはまったく違った、かろやかであかるく、歌詞は聞こえなかったが小さく歌いながら、村木は踊っている。諏訪さんもにっこりしている。二人は近づき、離れ、目を合わせて微笑みながら。黄葉のはじまった秋の中庭の木立の下で。
田所はこうして、いくどめかの村木に出会った。

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