53 For you that I do not get to know
53 見知らないあなたへ
私の講座を聞いてくださった年若いあなたへこの手紙を届けます。と言っても、あなたのお名前がわかりませんので、この手紙は直接あなたのところに届くことはないでしょう。この手紙は、私が属する仲間との小さなペーパーにひとつのエッセイとして載るでしょう。それが何らかの方法であなたのところに届くことを祈ります。
あなたは、「深い悲しみの中にある」と書いておられました。それがどのようなものであるのか、今の私には全くわかりません。また私は敢えて知ろうとも思いません。人の悲しみは、そんなに簡単に伝えられるものではないことを、私は私なりに理解しているからです。聖書の詩篇の中に「我空に向いて目を揚ぐ、我が悲しみは何処より来たるや」とあります。悲しみはゆえ知らない遠くから訪れるのでしょう。
悲しみはひとつの傷です。ですからそれは、時間をかけて治さなければなりません。あらゆる傷がそうであるように。悲しみの回復には、どうしても時間が必要なのです。しかしその時間とは物理的に流れる時間だけではありません。もっとも大切なものは、ひとつの時間を愛するものに向けて生きる、そのときの時間なのです。時間を愛するものに向けるとき、人は愛するものと時間をともにしているのです。
たとえばここに先週買ってきた、小さな花の苗があります。少し弱っていますが、土におろせばきっと元気になるでしょう。苗は自らが持っている力によって少しずつ伸びて、いつか花を咲かせるでしょう。このとき花とあなたとの関係は見られるものと見るもの、それだけの関係でしょうか。もしそうであるとしたならば、それは、遠い野にある一輪の花の場合と異なりません。
庭にある苗はほんとうにそのようなものでしょうか。多分違うだろうと思います。あなたはある日、窓辺からその苗に視線を落とします。このときあなたは思いたって水をやらなくても、よいのです。いつか雨が降るでしょう。敢えて行動しなくてもいいのです。
それでも苗は決して孤立しているわけではありません。他の草花とともに、あるいは他の草花の陰に隠れているときはさらに必死に、太陽を浴びようとし葉を延ばそうとするでしょう。夜になるとあなたの窓に光が灯ります。苗はその光をかすかなりとも浴びるでしょう。あなたが弾くピアノが夕暮れの大気を震わせます。それを苗の葉はやはりかすかに受け止めます。
そしてあなたの心のどこかに、土に下ろした苗の記憶が残っています。記憶は人に生きる契機を与えるのです。だからあるときあなたはふたたび窓辺を見やるのです。ひとつの苗があなたの行動の契機をなしています。苗とあなたはもはや決して無縁ではありません。それならばです。それならば、ひとつの苗にあなたの愛を注ぐこともできるでしょう。夜寝る前に一瞬でいいから苗のことを思えばいいのです。明日枝は少し延びるだろうか、花はいつごろ咲くのだろうかと。
こうしてひとつの時間をあなたは花と共有します。一月後の開花をあなたは期待します。人は不分明な未来を花と共有できるのです。あなただけが孤立した時間の中を生きていたのではありません。多くのものたちが共有する契機に気づかなければ、孤立した中で生きることになります。しかしたったひとつの契機によって、人は愛するものと時間をともにして生きることができるのです。それでいったい何が変わるかとあなたはたずねますか。それならば、そのときはすべてが変わると私は答えます。世界は一瞬にして変わるのです。誇張ではありません。流れる時間の質が根本的に変わるからです。孤立して生きる時間ではなく、一輪の花と未来を共有する時間に変わっているのです。少し前まではそうではなかったでしょう。園芸センターで、先週あなたがひとつの苗を買うまでは。それを奇跡と言うなら、カフカが言ったように、生きることは一瞬によって奇跡となるのです。
カーソン・マッカラーズが言ったように、ひとつの雲を愛することから始めようではありませんか。いつか人を愛するところにまで到着するかもしれません。しかしもし、ひとつの純粋状態として、あなたが永遠に孤独であったとしても、それは決して愛というものの存在を、あなたにおいて否定するものではありません。なぜでしょうか。答えは単純です。愛は物理的な存在ではないからです。
愛はただ方向のみを持つ存在なのです。あなたは方向のない世界を想像できるでしょうか。私には不可能です。人が悲しみに打ち沈んでいるとします。人の顔は深く大地に向けられらています。悲しみの中においても、人はなお方向を持つのです。あなたからすべての方向を取り去ってください。そうしたらあなたは完全に孤独になれるでしょう。でもそれは多分不可能でしょう。あなたは絶望して顔を横に振るかもしれません。そのときでさえ、あなたはひとつの方向を選択しているのです。詭弁でもレトリックでもありません。どんなときもひとつの方向を選択させる何かがあなたの中にあるのです。それが生きることを愛することだと思うのです。
愛とは方向なのです。だからマッカラーズが言っています。まず私たちは雲を岩を木を愛することからは始めようではないかと。
どうか元気になってください。
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