18 最終試験
年が明けると、時間は足早に過ぎていった。教室からざわめきが消えた。相変わらず教室はきたないが、もうごみも空中を舞わなくなった。一人ひとりが個人の世界の中で勝負を始めた。そんな感じがする。金井と田所は同じ最終列に並んでいるが、その金井でさえ、ときどききりっときびしい表情を見せる。それでもすぐにいつもの表情にもどり、英語の時間の前に、田所に話しかけた。
「入試が終わったら、オレんとこに来ないか。おまえのところよりずっと都会だぜ。駅前だけはな」
田所は一度も金井のところに行ったことはない。金井ももちろん田所のところに来たことはない。金井は立山から中洋線で二つ目の志野に住んでいる。駅からは少し歩くんだと前に言っていた。
「ありがと、オレも行ってみたいな」
「おまえんとこと、たいしてかわらないけど」
金井は一年のとき、小雨の降った日に、田所が長靴をはいて学校に行ったとき、見るなりに笑った。
「おまえ、やめろよな、そんな格好、ここは山じゃねえぞ」
田所は、長靴が好きで、少し雨が降ると、前からよく長靴をはいた。まだ土の道がそこここに残っていたから、それが実用的であったのだ。高校になってから、ほとんどのものが、雨でも長靴をはいてこないことを知った。
「あたりまえだよ、そんなこと、おまえ、それで一日中いるのか」
たしかに、土足のまま教室にいるので、少し具合が悪い。
「そんな格好してたら、評判になっちゃうぞ」
「オレ、長靴が好きなんだ」
「好きでもやめろ、オレがはずかしい」
そんなことを言ってたことがあった。金井に会えてよかった。そんなことはもちろん一度も言ったことはないが、彼がいなかったら、田所の学校生活はかなり変わっていただろう。
「おまえ、京都になんで行くの?」
「新幹線で、まだ乗ったことがないから」
金井は東京で受験する。
「ようするに都落ちだな」
「いいよ、京都は、受かったら来る?」
「受かったらな」
あの独特の表情で笑う、でももうひやかしたりはしない。
みな真剣になった。来週からは高校最後の最終試験が始まる。内申は、このクラスではほとんど気にするものはいない。みな実力で受験する。推薦も多分受けない。少なくとも友達でそうした話は聞いたことがない。学校は二期制だから、十月でもう成績は確定している。気にするとしたら、欠席時数だけだ。これはみんなが少しずつ傷を持っている。適当にサボって図書館に行って勉強するのがよくあった。学校の図書館ではない。市内の市立図書館だ。秋の中ごろ、金井と二人で、午後から市立立山図書館に行って、教室に戻ってくると、まったくめずらしく担任の先生がいた。図書館に行っていました、と伝えると、そうか、それだけだった。先生は簡単な連絡のために教室に来ただけで、特にホームルームがあったわけではなかった。そんなふうに、みな適当に授業を抜けることがある。それで欠席時数だけは注意している。
それでも、最終試験には、みななにか感傷的になっている。これですべての試験が終わる。もう高校に来ない。高校が終わる。ほんとうに終わるのだ。卒業ではない。高校が終わる。あのばかげた日々が消える。すべてのこのクラスから消える。きたないゴミももう飛ばない。窓から大きな声でなにか校庭に向かって叫んだ日は来ない。最終試験ですべてが終わる。古めかしい校舎、きたない床、ついに一度も金井がそうじをしなかった日々。村木が走り、金井が跳び、田所が逆立ちをした校庭。佐藤先生がやや猫背に足早に官舎に帰っていった、長い影の夕暮れ。
さようなら、高校、さようなら、図書室、さようなら、冬のストーブ、その暖かさと静けさ。
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