Papa Wonderful 1999
37 写真
田所さんは特に冬の奈良が好きでした。田所さんがよく泊まった所は、宿代が安かったのですが、夕食がなかったので外から帰ると少し休んだ後、外へ食事に出かけるのでした。「わらびもちー」と独特の口調で売って歩くわらびもち屋さんの声を遠くに聞きながら,田所さんはその日一日の自分なりの勉強の成果を振り返りながら、思いはいつか自らの生き方へと移っていくのでした。東京の西郊とはいえ、それなりにあわただしい日常をしばらく離れて奈良という千年の単位の懸隔の中に身を置くと、忘却の淵に沈んだような思いがふと浮かび上がってくるのでした。
室生寺の急な階段を上り、仏像に相対しているとき、きっと多くの人が思うように、田所さんも、これらの仏像の存在の長さに比べて自らの生のつかの間の理知がいったいどこに位置づけられるのか、茫漠とした思いになるのでした。それでも田所さんが歴史についての勉強を続けてこられたのは、田所さんに歴史を教えてくださった山野先生のおかげでした。たぶん誰でもが持つ人生の途上での深淵に似た懐疑に対して、先生はそうした懐疑を認めながらしかもゆっくり歩む方途をいつにまにか指し示してくださっていました。二月の底冷えのする奈良の古びた喫茶店で、先生はその店をずっと以前から訪れていたことを話しながら、それ以上特に学問の話をするわけでもなく、一日の疲れに熱いコーヒーをすするのでした。
田所さんは奈良を訪れるとき、ほとんど必ずカメラを持っていきました。ニコンのF3、レンズはニッコールの50mmでF1.2、今はもうカタログにもないようですが、非常に明るいレンズなのでいつもフラッシュなしで写していました。先生と醍醐寺を訪れたとき、その受付で先生が私のほうには背を向けて、かかりの人に訪問を告げていたとき、田所さんは裸電球の明かりの中にたたずむ先生の姿をカメラに収めました。その構図をもう二十年近くも経ったというのにはっきりと覚えているのです。それは田所さんが写したものの中の心にしみる数少ない写真の一枚になっています。
写真は寡黙でありながら人にときに全的な記憶を呼び覚まさせます。その奈良の時代から幾ばくかの年月を経て、田所さんは妙さんの写真を撮り、二人のこどもの写真を撮るようになりました。兄の高彦くんは高校に進み、弟の安彦くんも今年はもう小学校の最終学年になりました。こうして町の運動会での安彦くんの応援風景をファインダーの中に見つめていると、一人の生涯は、千年の仏像はおろか一台のカメラにももしかしたら比肩しないのではないかと、それは決して落胆でもなんでもなく、素朴に思えてくるのでした。
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