Monday, 19 August 2019

From Hodge diamond of mirror symmetry by KONCEVICH to mirror language

From Hodge diamond of mirror symmetry by KONCEVICH to mirror language

From Print 2012, Chapter 18
Aは祈りのモデルとして鏡の世界を想定していた。実際の手が鏡に映る。奥行きもある。動かせば一緒に動く。しかし実態はない。そして左右が反対になる。というより右手は右手なのだが、鏡の中では左手側として構造化される。上下関係はそのままだ。朝永振一郎が描いた鏡の中の世界だ。それはよく言われることだが、これだけではそれ以上には進まない。
鏡の手前に実在の幸福がある。鏡の中にその幸福が映る。それは実在しない。手前の実在の幸福を取り外せば、鏡の中の幸福も消える。今鏡の中に幸福があって、手前に実在の幸福がない状態を想定する。そういう状態をモデル化できないか。そんなことを彼はしばらく前から考えていた。
虚数を使えばどうだろう。リーマン球面の座標に時間座標を加えて、それに負の記号をつければ、ミンコフスキー空間になる。時間座標を空間座標と同じ正にとれば、次元に関してシンメトリカルな四次元球面ができる。これはホーキングが宇宙の生成に関して虚時間を導入した発想だ。ホーキングの宇宙の始まりは、だからその底面が球になっている。
言語に対称性は入れられないのか。そうすれば面対称で鏡の世界ができる。そして鏡の中だけに言語があるようにすれば、それを祈りのモデルとすることができる。そんな道筋を考えた。
実数に対して虚数があるように、実言語に対して虚言語がある。祈りは虚言語で書かれているとする。実言語の中に内在する時間を想定したように、虚言語にも内在する時間を想定する。天国に行くことは、虚言語の中で内在する時間を移動することになる。その言語をミラー言語mirror languageと呼ぶことにする。それならば、そのmirror はどこに置かれるのだろうか。
図書館でもっともよく読んだのは、深谷賢治だった。円はやはりx2 + y2 = 1で認識するより、丸い図形のイメージで認識するのが自然におもわれると書いてあった。幾何学の直感性はたしかにすばらしく普遍的だ。
深谷の本を読んでいくと、ミラー対称性mirror symmetryが出てくる。ホッジ・ダイアモンドと呼ぶものを或る値のところに設定し、そこで折り返すときれいなミラー対称性を得ると記されていた。Aが考えるmirror languageもそこで可能かもしれない。
References 2:



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